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2010年12月

二年参り

 現役時代は12/31まで働いて元旦も出勤していたので、初詣を年始の3が日にしたことがなかった。この3年やっと世間様並みの初詣ができるようになった。

池上本門寺

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 二年参りというやりかたをある僧侶から聴いて実行している。まず12/31に 午後11時半ごろお参りする。それから山門の外にでて1/1なるのを待つ。新年になったらもう一度お参りする。一度に二年分のお参りをすることになるので御利益が2倍になると僧侶から聞いた。

 三年間この二年参りを続けているが一向に御利益らしきものを授かることがない。考えてみればわずかなお賽銭であれもこれもとお願いするので仏様も困惑しているのかもしれない。今年は自分とカミさんの一年間の無病息災だけにしぼって仏さまにお願いしようと思っている。

 みなさんも良いお年をお迎えください。

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東海道53次を歩く

 最近東海道53次を歩き始めた友人から話を聞いた。

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全長492キロ、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や歌川広重作の浮世絵「東海道五十三次」の舞台だ。

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 専門の講師による歴史的名所探訪、地域のおいしい料理もセットになっている。2年半で完了するという計画らしい。今東海道を歩くことがブームらしい。

 女性の参加者も多いので一緒にいきませんかと誘われたが、一日平均15キロを歩くということを聞いて丁重にお断りした。

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鬼平の愛した料理

 無類の読書好きの先輩との忘年会。先輩はいつも読んで面白い本を教えてくれる。今回もこの本を紹介してくれた。冬休みの楽しみが増えた。

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 最近先輩が読んでいる本は池波正太郎の「鬼平犯科帳」

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この小説の中には思わず食べてみたくなる料理が数々登場する。例えば

うす味の汁でさっと煮た白魚の潰し卵かけ/大根と油揚げ/芋膾/浅蜊と葱の煮込み/田螺とわけぎのぬた/白魚と豆腐の小鍋だて/茄子の香の物へ溶き芥子/鯉の洗い/鮎、とうふの田楽/芹の味噌椀/、わけぎと木くらげを白味噌和え、鱒の味醂漬け嫁菜ぞえ/鯉の塩焼、軍鶏の臓物の鍋/白髪蕎麦/田舎蕎麦/鴨の網焼きと吸い物/蒟蒻と油揚げと豆腐の和え物

等々だ。ある時先輩は読み終わった本を近所の行きつけの居酒屋の女将にプレゼントしたらしい。女将は本の中にあった「鯛入りの湯豆腐」を再現して店に出したところ大人気メニューとなったらしい。その後も次々と鬼平の料理を再現して、好評らしい。

 春になったら その店に仲間が集まり 鬼平料理を食べるという楽しい約束をした。

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新宿駅南口から

 学生時代の遊び場は新宿だった。新宿駅南口、高島屋もサザンテラスも商業施設は何もなかった。南口というより裏口と呼ぶのにふさわしい感じだった。

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 紀の国屋方面に向かって階段をおりる。

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 いきなり今年一年の行動の反省を求める言葉に出会う。

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 新宿に唯ひとつ残るポルノ映画館、ビデオ、インターネットの登場で各エリアからポルノ映画上映館が次々と閉館した。その中で頑張るこの映画館には館主の意地のようなものを感じる。

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 カレーにソースをかけて食べる習慣はいつごろからなくなったのだろうか?はじめて本格インドカレーにであった店。

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 南口で女性と待ち合わせと言えばここしかなかった、夕方には客とホステスのカップルの多い店だった。喫茶「西武」2F

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はじめて生ビールを飲んだ店

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本屋と言えばここしかなかった。たくさんの本にであった。待ち合わせ場所でもあった。

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 学生時代は敷居の高いみせだった。それにしても東京のおでんつゆは何故あんなに濃い色の醬油を使うのだろうか?

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学生でも入れた本格中華の店。

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 店が激しく入れ替わる新宿で40年以上変わらない店をみるとホットした気分になる。

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上海縁故事情

上海で不動産取引ビジネスをしている友人と食事をした。上海ではマンションは内装抜き、いわゆるスケルトンの段階で取引されるのが主流とか。自分の好みで内装したいというのが主な理由らしい。内装に日式(日本風)を取り入れると30%価格があがるらしい。日本の品質信仰はなかなかのものだ。

この友人が上海の事務所に勤務する女性(中国人)と5年ほど前に結婚した。

15才も年下の女性だ。この人と結婚したとたんビジネスの場面がガラッと変化したとのこと。

3か月~半年かかっていた電話やガスの取り付けが1週間でできるようになった。とりにくかった飛行機のチケットもあっと言う間に手に入る。役所への申請書類もスムーズに通る。奥さんの叔父さんが国営テレビ局に勤めていて顔が広いということがあるようだ。

 更に多くの親戚を通して、プリウスが手に入らないか? 日本から粉ミルクを大量に輸入したいがなんとかならないか? 個人、会社の様々な相談が持ち込まれるようになり、とうとう彼は輸入代理店を起業したという。いまでは不動産より輸入業の方が主なビジネスになっていると笑う。中国の縁故の強さを改めて感じさせる話しだ。

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中国方便面事情

 方便面はインスタントラーメンのこと。香港では日清の出前一丁をよく見かける、食堂のメニューにも出前一丁があることが多い。香港の出前一丁は袋ものだけで25種類ある

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 中国は世界のインスタントラーメンの消費量の40%を占める。この世界最大の即席ラーメン市場のトップブランドは残念ながら日本製の麺ではない。台湾の「康師傳」という麺だ。

 「康師傳」を作っているのは台湾の「頂新」という会社。もともと台湾の中小企業だったが中国進出に成功し、大企業になった。

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これが中国で最も売れているインスタントラーメン。スープが濃く、ピリッとした辛みが特徴。中国ではスープが濃厚で辛みのある麺が人気があるようだ。

 お勧めはこれ 韓国風の辛みの強い麺。折りたたみ式のフォークがめずらしい。

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流通第二世代

 ダイエーの中内功さんたちはチェーンストアを切り開いた第一世代と言っていい。中内さんが企業の枠を超えて流通業の若手にマーケティングとは何かを教える勉強会に参加したことがある。中内さん曰く「こんなところで私の話を聞くより、店に帰ってひとりひとりのお客さんをよく観察しなさい。それが小売業のマーケティングだよ」30年ほど前の話だ。この時ダイエーの主要な会議は全員が英語で話すことが義務付けられていた。中内さんの先見力に驚かされる。

 中内さんたち流通業の創業の巨人たちを支えたのが流通第二世代だ。第一世代より10年ほど若く、参謀として彼らを支えた。第一世代が革命家なら第二世代は実務家、チェーンストアの各分野のシステムづくりの名人たちだった。

 その第二世代の一人が12月に逝った。小説『不毛地帯』のモデルとして有名な瀬島隆三さんを師として瀬島さんから聴いた座有の銘を自分も大事に経営にあたった。

 「良く戦うものは人を盛んにする」                       合掌

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味干らーめんの実力

 

 立教大学の図書館に近い出口を出るとラーメン屋がある。「味干らーめん」 とんこつ味の熊本ラーメンだ

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このラーメン東京ではあまり知られていないが、上海では人気ナンバーワンのラーメンチェーン店だ。

上海市内に98店舗、中国全土では417店舗を誇る。

成功の秘訣は二つある。ラーメンと言えばコシのあるラーメンだがここのラーメンは上海ではコシのない柔らかい麺だ。現地の人に会わせているのだ。

二つ目はこの店のメニューを見ればわかる。

  味千拉面

  猪扒盖浇饭

  鰻魚

  牛肉咖喱乌

  特色的朱古力新地

日本語に直すと

 

味干らーめん  260円

 

かつ丼

 

鰻丼

 

牛肉カレーうどん

 

チョコレートサンデー

中国進出成功の秘訣は日本での成功体験に固執しなかった点にある。

日本のラーメン屋さんたちがこだわる 麺のコシを現地に合わせてあっさりと放棄する。ラーメン屋はラーメンとギョーザだけという日本流を捨て、求められれば、「日本食屋」に変身する。現地目線のマーケティングの勝利と言えよう。日本料理専門の店は高級店が多く価格が高い。手軽な価格で日本料理を食べてみたいというニーズに応えたのが当った。

 上海のこの店ではラーメンとパフェを同時に注文する若い女性をよく見かける。そのうち日本でも流行るかも知れない。

 

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冬場のネコたち

最近の「とら」は朝起きると食事を要求する。缶詰の餌とカリカリ餌の両方を並べてやると満足して一口も食べることなく部屋を出て行く。キチンと仕事をしろということなのだろうか?

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 寒くなったので 庭に日が当らない時間以外は外に出たがらなくなった。外に出たいそぶりをするので ドアを開けてやると 寒い時などは 外をのぞいて、くるっと振り返って非難するような目つきで私を睨みつけてから一目散に家の中に駆け込んでくる、

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 お気に入りの場所はこたつの中、姿をみかけないのでどこにいるのかわからない時もあるが、こたつの中から大きないびきが聞こえてくるので居場所を確認できる。若いときにはなかったことだ。

 「しろ」は近所の猫と喧嘩した時、夏場の温かい時は食事の時間以外は寄り付かない。彼は近所でも人気スターなので行く場所はたくさんあるのだ。冬場になったので、最近は毛布を敷きつめた専用のハウスで一日中昼寝をしている。

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後期最終授業の日

 立教大学のクリスマスツリー、近隣の人も大勢見学にくる。この時期人気のスポットだ。

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 最終授業、教授から「メリークリスマス!ハッピーニューイヤー」のメッセージをもらって最終授業が終了する。正門のところで千石ゼミの二期生とばったり出会う。

「どう終了報告書は進んでいるの?」

「出来はどうあれ なんとか書き上げた」

「良かった。じゃあ後は家でのんびりだね」

「そうでもない。授業のある時は週三回学校に来ている。冬休みで毎日家にいるとカミさんの機嫌が悪い」

 我々の現役時代は企業戦士として仕事漬けの日々が続いた。家族は母子家庭状態。当然妻は夫を当てにできない。夫抜きで日々の家庭を運営するようになる。今更家で毎日過ごされてもという妻側の気持ちもわからなくはない。

「そういえば、授業のある日、「今日は飲み会だから晩飯はいらない」と言うとカミさんが「ああー良かった」と喜ぶね」

 そういうことなら お互いのカミさんの晩飯づくりの負担軽減のために二人で飲みに行こうということになった。

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立教セカンドステージ大学の面接試験対策

 

面接試験が苦手という人は多い。セカンドの入学面接試験で教室の外で待っている時、隣の席で待っている女性に話しかけた。「ダメ、今話しかけないで!と何かをブツブツ言いながら暗記している様子。こちらは馬齢を重ねて、厚顔無恥となっているので、面接を受けるといってもいまさらドキドキしなくなった。むしろその女性の緊張する姿がうらやましかった。

このブログにセカンドステージ大学の面接試験対策を問い合わせるコメントが寄せられることがある。自分自身の体験と対策をブログに書くことはさほど難しいことではないと思う。ただ一つ問題がある。このブログはセカンドステージ大学の教授も時々読んでいるのだ。大学で時々教授から感想を聞くことがあるのでそれがわかった。

セカンドの入学面接は教授陣が面接官になる。このブログに面接試験対策を書くと 敵に手の内を公表することになりかねないのだ。そこで面接対策については コメントにメールアドレスをつけていただいた人だけにこっそり連絡することにしたい。

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青梅 かんぽの宿

 青梅に住んでいる友人に前から勧められていた 青梅かんぽの宿に立ち寄った。青梅駅から車で7分で着いた。

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日帰り入浴料は1000円、展望風呂は7階にある。土曜日の午後なのに2.3人しか入浴客はいない。遅い昼食を二階のレストランでとる。レストランからの眺めもなかなかのものだ

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 頼んだのは 「青梅御膳」1575円

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なんということもない刺身・てんぷら定食なのだが、風呂上がりのビールがうまい。それに他の客がほとんどいないので、貸し切り状態の中でゆったりとした時間となった。近くの吉川英治記念館を見学して帰路に着いた。

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「老い」に関する本

 本日の忘年会は 新宿駅西口に4時集合。小田急ハルクの向かい、以前さくらやだったビル、今はユニクロが入っているビルの5階 「天狗」 昼間から飲める居酒屋だ。

 「老い」に関する本が話題になる。一冊は佐藤愛子の「老い力」50代60代と年代別に書かれたエッセイをまとめた本

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 もう一冊は仲間の一人が奥さんから勧められた

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 二人の歯に衣着せぬ語り口が心地良い。独創的な正しい老人のあり方を考える本だ。

 酒の話題に司馬遼太郎の直筆の色紙を持ち出した仲間がいた。

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『世に棲む日々』『龍馬がゆく』『坂の上の雲』この人の小説から、自分にも何かできるかもしれないという夢をもらったと仲間が言う。

この冬休み 司馬遼を読み返してみたくなった。

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世田谷ボロ市 パート2

 ボロ市で人ごみに疲れたら 代官屋敷を見学すると良い。1753年に建てられたこの敷地はボロ市とは別世界の静けさだ。

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 ボロ市の時だけしか食べられない 名物代官餅もこの代官屋敷の近くで売っている。大人気なので行列ができている。

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座って食べられるスペースもある

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こちらも大人気のコロッケ・メンチの店

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ありとあらゆる食べ物屋が出店している。Dscf2223

気がつけば二人ともコロッケを一つ食べただけだった。三軒茶屋でコーヒーを飲んで休憩。大森で午後3時ごろ喜多方ラーメンを食べる。来年は代官餅を食べることを誓い合ってはじめてのボロ市見学は終了した。

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世田谷ボロ市

 430年前の楽市が起源のボロ市は12/15,16 1/15,16に開催される。700店舗が出店し、一日20万人が集まる 日本最大のフリーマーケットといっていい。

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とにかく人が多い、歩くのも困難なにぎわいだ

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どんなものでも売っている。

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骨董品 目利き自慢の人たちが

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ねぎり上手の奥さんに苦笑いする店主

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植木だって売っている

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 国際化するボロ市、外国人の売り手。日本語がうまかった。

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 中年のおばさんパワーがさく裂する

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以前世田谷に住んでいた時、「一度は見たいと思っていたが、あのころは子育てに忙しくてね」と言うカミさんはショッピングというより、ゆとりを持てた自分を楽しむように歩きまわっていた。

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大森の老舗店

 池袋大勝軒系のつけ麺店が11月にオープン、土、日には行列ができる。最近はラーメン屋の開店が多い。大森銀座の入口に位置する。

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そのすぐ奥にあるのが30年以上続く老舗中華の店「満州里」

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ギョーザは大森名物だ。店舗の位置が少し変わったが以前はこの店の看板はJRの電車から見えた

大森名物と言えば海苔、老舗と言えば「守半」、海苔屋さんというより、高級和菓子店のような店構え

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天然物のうなぎにこだわる「野田岩」 30年間一度も入ったことがない。

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もう代替わりしたが、閉店近く店主が客席に座ると、その時点からその周りの席はすべて店主のおごりになるという不思議なてんぷら屋さんだった。店主がその日一番食べたいものをみんなにふるまう。これがうまかった。

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昔ながらの喫茶店「ルアン」、昔ながらのコーヒーの味は抜群!。ドトールやスタバでは味わうことのできない 昭和の喫茶店の雰囲気。

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 店ではないがこの界隈で一番好きな 神社の客寄せのキャッチフレーズ?。これも30年間変わらない。

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エコプロダクツ2010

 エコプロダクツ2010、18万人が入場した日本最大の環境問題の展示会だ。

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 環境教育に関するブースも数多くあったが、普段の生活で一般のひとがやっていることとあまり変わらない内容だった。ややおざなりの感じ。

 ヨーロッパを旅すると真っ白なトイレットペーパーにほとんどお目にかからない。

 ドイツでは1980年代から環境に関するテーマが多くの教科で扱われ学校生活全般(文房具・校内のゴミの扱い省エネなど)で環境に配慮した指導を行っている。小学校の生徒には再生紙のノートやファイルを買うよう指導したりゴミについては、学校に乾電池やアルミの回収容器が設けられ缶やパックの飲み物は売らないことになっている。

 また学校、公共の施設を改築、新築する場合、太陽光パネルの使用を義務づける国も多い。

 会場を歩きながら感じたことは政府が実行レベルでは何も対策を打っていないということだ。

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ミケランジェロのダビデ像

 ゴリアテは、旧約聖書のサムエル記に登場する巨人兵士。身長は約2.9メートル羊飼いの少年であったダビデが投石器から放った石を額に受けて昏倒し、自らの剣で首を刎ねられた。この故事にちなんで、弱小な者が強大な者を打ち負かす喩えとしてよく使われる。

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 ミケランジェロ以前、ドナテッロやヴェロッキオのダビデ像はゴリアテを倒した後のダビデを表現している

ドナテッロ ちょっとセクシーなダビデ

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ヴェロッキオ

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 ミケランジェロのダビデ像はミケランジェロの代表作であり、ルネッサン期を通じて最も卓越した作品の一つである

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 大理石で5.17メートルのこの作品は緊張の色を表しながらこれから戦闘に臨む姿を描いている。左半身は体重をかけずに足を外側へ差し出してややリラックスしているのに対し、右半身には戦いの前の緊張感が溢れており、静脈の浮き上がった右手や堅く踏みしめられた右足、わずかによじらせている胴体の様は、ダビデがいままさに攻撃を開始しようとしているのだという予感を観る者に与える。

 外敵を前にした共和国市民としての責任を問いかける意味を持たせたといわれている。

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美術史最終講義

 本日は美術史最終講義。

 レオナルド・ダヴィンチは自分のパトロンだったミラノ公ルドヴイードの妻と愛人の肖像画を描く。

 妻

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 愛人

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 この当時、注文主と妻の絵は客間に飾られた。愛人の絵は注文主の寝室に飾られたという。今それをすれば、奥さんは旦那をなぐり倒すに違いない。

 ラファエロが描いた教皇の絵。

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 後ろの二人は右側が次の教皇候補、左は次の次の候補を意味する。右側の男が教皇のイスにしがみついているのが面白い。教皇の右側に描いて欲しくて画家に金を出した人がかなりいたらしい。この教授のゴシップまじりの絵画の説明が聴けなくなるのが残念。

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恵比寿ガーデンプレイスのイルミネーション

本日の忘年会は恵比寿で、元祖イルミネーションスポットを見た

バカラで作られたツリー

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ツリーは一つだけではない

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「なんか文句あっか」と言うくらい夜景が楽しめるスポットなのだが、50代60代のおじさんたちと見ると何故か悲しくなってくる。

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忘年会 3

 韓国から友人が3人、日本に来たので有楽町で待ち合わせた。

 有楽町駅前のイルミネーション

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 何が食べたいかと聞くと韓国料理がいいという。このへんで韓国料理店を知らないと言うと、銀座には韓国料理店が25軒あって、韓国と同じ味の店が3軒あるという。何回かの来日のうち一度は日本料理を食べさせたいと思うのだが彼らが韓国料理以外のものを食べたのを見たことがない。

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コミュニケーションギャップ

 大学の文学の授業で「ウーン」考え込む場面に出合った。

夕暮れの立教大学クリスマスツリー

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 谷崎潤一郎の『細雪』の冒頭部分を若い学生が朗読した。旧かなづかいが読めない。例えば「さう」が読めない。また仮名つかいではないが「お白粉」も読めなかった。たまたまこの学生だけが読めないのではない。授業の後でまわりにいた3人に尋ねたら彼女たちも読めないという。古典を読めといってもなかなか読まない理由のひとつこういうことがあるのではないか? 

 私より15歳も年下の店長が「若い連中とカラオケにいったら、自分が全くわからない歌ばかり唄うので参った」と言うのを聞いたことがあった。

 ベテランの落語家が若い人が多い客席では「廓話」は殆ど通じないので演らないようにしていると言っていた。

 文化の伝承の基本ツールである言語がどんどん変化し、伝わらなくなっている。「異文化コミュニケーション活動」は国際的コミュニケーション促進の活動だが、その前に国内の「世代間コミュニケーション学」が必要なのではないか?

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北国からの報せ

富山在住の友から朗報が届いた。40年来の友人、五年に一度各地を旅する仲間だ。風の盆歌で知られるおわら踊りの昇級試験合格の報せだ。

越中八尾おわら道場の技能検定試験が富山能楽堂で11/20()11/21()に有り、上段3級から上段2級に認定されたとのこと。

おわら道場では、唄、囃し、三味線、胡弓、太鼓、女踊り、男踊りの7部門が有る。

技能検定は各部門、共通で階級が認定。段なし、初段で2級、1級中段で3級、2級、1級上段で3級、2級、1級 と認定。その上が指導者の先生。準師範、師範代、師範、上師範と分かれる。 

おわら道場に入門して8年目の快挙だ。

検定試験で踊る友

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彼が中段3級で4年間足踏みをしたことがある。2008年におわら踊り、エジプト公演で、カイロのホテルで同室だった唄の中川師範に、彼が「道場を辞める」と弱音を吐いた。その時師範が「貴方は何故おわら踊りを始めたのか? 上達の道程には個人差は有る。好きだったら続けたら・・・。「芸事は一生練習、仏の道は一生修行」と励ましてくれたらしい。

友の頑張りと中川師範との良い出会い、ちょっといい話ではないか。

 昇給認定のことを彼のブログ「笑甲斐 」で知った。おわら踊り、社交ダンス、蕎麦、うどんの手打ち修業と多芸多才の内容。ビジネスマンの定年後の生き方のひとつのお手本を見ることができるブログだ。

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カンディンスキーの恋人

   二人は指導教授と画学生として知りあう。

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1914年に第一次世界大戦がはじまると、敵国人とのレッテルが貼られたカンディンスキーは祖国ロシアへ帰国した

1917年以降、彼女はカンディンスキーがロシアで別の女性と結婚したことを知った。これにより、カンディンスキーとミュンターの関係は完全に崩壊した。この別離ののち、ミュンターは絵筆を握ることが少なくなった。

19441213日、カンディンスキーが亡命先のパリ近郊ヌイイ=シュル=セーヌで亡くなった。

第三帝国時代にミュンターは、ムルナウの家の地下室にカンディンスキーの作品を隠して庇護し続けた。

195780歳の誕生日に際して彼女は自身の膨大なコレクションをミュンヘン市に寄贈した内訳は、自身の作品群、80点以上のカンディンスキーの絵画作品及び他の青騎士芸術家たちの作品であった。この一件によってミュンヘン市立ギャラリーのレンバッハハウスは一夜にして、その名を世界に知らしめる美術館となった

一人の人間としては カンディンスキーよりもミュンターの方が興味深い。

 1907年カンディンスキーは他の女性と結婚していたが、ミュンターはカンディンスキーと同棲生活を送る。この時期の女性としては大胆な行動というべきだろう。

カンディンスキーが描いたミュンター

彼としては珍しい肖像画だ

1909年彼女はムルナウに家を購入、翌年以降彼女は毎夏数ヶ月をここでカンディンスキーとともに過ごす。

絵を描くミュンター

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抽象までのプロセス

 19世紀のはじめ、「写実」を脱する試みをしたグループがパリにいた。人間を一つの視点から描くそれまでの描き方に対して、前、横、斜めという多視点から見た人間を一枚の画に収めるという実験的手法。キュビスムと名付けられたこの実験はピカソ・ブラックなどによってはじめられた。キュビスムの美術の分野における影響は大きく絵画にとどまらず、彫刻、デザイン、建築、写真にまでその影響は及んでいる。

『ピカソの肖像』ファン・グリス 1912年

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 同じころドイツ・ミュンヘンでも写実を抜け出す試みをするグループがいた。抽象絵画の先駆的存在ともいうべきカンディンスキーのグループだ。

『花嫁』1903年

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『ミュンヘン郊外』1908年 の一部

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 メルヘンなタッチ。自分の内にあるイメージを描いた。カンディンスキーはこれらの作品を「絵具に唄わせる」とコメントを残している。

 1911年 カンデンスキーは決定的な一枚の画を描く。

 『印象Ⅲ コンサート』

習作 1

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習作2

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最終作品は

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 スケッチから最終作品までの過程がよくわかる。カンディンスキーは音楽家が音で自分の内面の感情を表現するように、色によって感情や内面にあるものを表現しようとした。

黄色についての彼のコメント「黄色は観者に向かって、時には圧倒せんばかりに迫って来る作用を持ち、その強烈さが高まる時、しだいに高く吹き鳴らされるトラッペットの鋭い音色が特に際立つファンファーレの音色のように響く」と語っている。

「カンディンスキーと青騎士展」は2011.2/6まで三菱一号館美術館で開催している。

 

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忘年会 2 未来をになうグループ

 本日の忘年会会場は五反田「竹取の音色」という名の居酒屋だ。スーパーの営業は二つの仕事がある。ひとつは「今売れているものを徹底的に売り込む」役割の店舗の販売部門。もうひとつは「明日何が売れるか?を予測して、それを仕入れる」バイヤーと呼ばれる集団。本日は後者の集団の集まりだ。

 当時の経理担当常務曰く「そりゃー私より、バイヤーの方が権限があると思う。何しろこの会社では数万円の店舗の水道料金支払いさえ、伝票を起こして決済が必要、ところがバイヤーは数億円の取引を個人で決済してしまう。私はと言えば一千万円以上の支払いは会議にかけなければ通らない。バイヤーのほうが私よりよっぽどえらい」

 バイヤーには20代後半の店舗で評判の男たち(女性も)選ばれる。これから何が売れるのか。競争相手のスーパー、百貨店、専門店を調査する。時には新商品を求めて海外の展示会にも出向いて行く。当時の会話を思い出した。

 「部長、この商品どう思います?」「売価は?」「イチキュッパです」こう言われて198円なのか1980円なのかがわからないようでは部長は務まらないのだ。「他のスーパーはまだ取り扱っていないので迷っているんですよ、どうですかね?」「デザインがイマイチパッとしないな、時期尚早じゃないか?」と私。

 「そうですか、良かった、それじゃ来週から扱うことにします」「????」「去年、部長に大反対されたあの商品、今売れ筋商品のベスト3にランクされているんです。部長に反対されたら扱うことに決めてるんです」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 スーパーの未来を担うバイヤーは個性派集団の集まりである

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忘年会・エキスパート倶楽部

 一週間の研修会で知り合いになった会社は違うが定年退職組ということで集まった仲間たちだ。場所は神田「北海道」一年ぶりの顔合わせなので近況報告になる。

 Mさんは地元の定年退職者を集めて活動チームを編成。それぞれの得意分野でリーダーになる活動をはじめた。海外まで釣りにでかける釣り好きのMさんはもちろんみんなを釣りの世界に引きずり込んでいるようだ。

 無類の世話好きTさん(この会合の代表幹事でもある)ツアー添乗員の資格をとり、各地に旅行するかたわら、やはり定年退職組を集め、都内を中心にブラ歩きのボランティア活動に忙しい。この秋この人の活動に立教大学見学というテーマがあり、手伝ったことがある。

 Hさんは スキーとゴルフが趣味、また障害者の就職支援活動をしている。賃金は? とたずねると経済行為として考えると長続きしない。使命感を感じることが続いている要因と話してくれた。

 Yさんは自分のすむふるさとの町おこしの代表に就任、さまざまなPTを起こし始めた。

 この人たちを見ていると 定年退職者がまず始める「自分探し」の段階から、もう一歩進んで「新しい自分づくり」をはじめたようだ。

 帰り際二人からそれぞれの活動の助っ人を頼まれた。もちろんOK。飲み会の誘いと友達からの頼みごとは断ったことはないのだ(借金の申し込みをのぞいて)

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ピカソ・腕を組んで座るサルタンバンク

 一年振りにこの絵を見た。ブリジストン美術館所蔵。サンタルバンクは軽業師の意味。画面左上に女性を描きかけて消した痕がある。何故女性は消えたのか? 元気になるはずの赤を多く使いながらこの軽業師はさびしげに見える。それは何故か?

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 この謎を考える為にはこの時期のピカソの色使いを知る必要がある。ピカソはその時々の自分の感情を色によって変えるという特徴があった。例えば「青の時代」と呼ばれる時期は

親友カサヘマスの自殺にショックを受け暗青色を基調として絵を描いた。

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その後 フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調で芸人などを描いた。「バラ色の時代」と呼ばれた。

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『腕を組んで座るサルタンバンク』が書かれた時期のピカソはどんな想いだったのか? この絵が描かれた1923年 ピカソ32才。ピカソはバレリーナで貴族出身のオルガ・コクローヴァと知り合い、1918年に結婚した。オルガはピカソをパリの上流階級の社交界に引き入れ、ブルジョア趣味を教えた。ピカソははじめのうちこそ妻に調子を合わせていたが、しだいに生来のボヘミアン気質が頭をもたげ、衝突が絶えなくなった。

華やかな社交界に身を置きながら、その世界になじめないピカソ、明るい衣装を身につけながらはずまないこころの軽業師、ピカソの想いが投影した絵と解釈できる。

この解釈を一緒にいた友人に話したら「そんなむづかしい絵じゃない」「じゃあどんな絵に見える?」「出番が終わって 腹が減って座っているんだ」「じゃあ消えた女性は?」「隣の部屋のキッチンで食事を作っているんだろう」

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「セーヌの娼婦たちー印象派は何を描かなかったか」

 ブリジストン美術館の土曜講座「セーヌの旅」第二回の講師は山田 登世子さん、日本のフランス文学者、エッセイスト、愛知淑徳大学教授。「セーヌの娼婦たちー印象派は何を描かなかったか」6月に美術関連の著書を発表した。

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『船遊びの昼食』ルノワール

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この絵の描かれた女性の職業は?

 殆どが娼婦と山田さんは言う。この舟遊びは グルヌイエールという人気のスポットに向かう。この人気スポットをマネとルノワールは競作している。

『ラ・グルヌイエール』マネ

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 『ラ・グルヌイエール』ルノワール

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グルヌイエールがどんな場所だったのか? モーパッサンの短編『ポールの恋人』には「ラ・グルヌイエールの近くでは、ごったがえす散歩者の群れが大木の周りをうろうろしていた。女たちは髪を金髪に染めて、胸を突き出し、尻をふくらませ、おしろいを塗りたくって厚化粧をして、唇を真っ赤にぬり、派手な衣装を着てウエストをベルトで締め上げた女たちで、けばけばしく悪趣味なドレスで芝生を引きずっていた」と書かれている。

マネもルノワールも水上カフェを画面右端でカットしカフェの中が見えない。水上カフェを隠しているのだ。このカフェに集まるおんなたちは客引き目当てにやって来た娼婦たちなのである。

エミール・ゾラは当時の高級娼婦の世界を小説『居酒屋』『ナナ』で書く。

アンナ(ナナ)が舞台女優から高級娼婦になり、周囲のブルジョワ・貴族を次々に破滅させてゆく。

 マネはこの『ナナ』をモチーフに一枚の絵を描く

『ナナ』マネ

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この絵は健康的であり,男女間の駆け引きも,娼婦の持つ淫らな雰囲気も一切感じられない。ルノワールの 『船上の舟遊び』に描かれた娘たちも良家の子女にように上品に描かれ、娼婦には見えない。当時の新聞にはマネとルノワールの画があまりに現実とちがうことを皮肉ったイラストが掲載されている。

マネ・ルノワールは実態よりも美しく描くといううそつきということになる。二人が描かなかったのは 淫らでセクシーな娼婦たちの実態ということである。もちろん二人を非難しているわけではない。

 

 

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