文化・芸術

「つかこうへい70年代展」

 早稲田大学構内にある坪内逍遥博士記念演劇博物館。
 建物自体が演劇資料になっている。
 エリザベス朝時代、16世紀イギリスの劇場
「フォーチュン座」を模して今井兼次らに
より設計された。
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この中で「つかこうへい70年代展」を見学した。


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 つかさんは一昨年亡くなった。

つか こうへい(本名:金峰雄〔キム・ボンウン、〕、、国籍:大韓民国、男性、1973年、岸田國士戯曲賞を、当時最年少の25歳で受賞 (戯曲『熱海殺人事件』)
1987年11月、ソウルで韓国人役者による『熱海殺人事件』を上演し大成功を収める
 紀伊国屋ホールでこの「熱海殺人事件」を見たことがある。

 警視庁のお騒がせ、くわえ煙草の伝兵衛こと二階堂部長刑事が担当する殺人事件は世間を騒がせるような一流でないと気が済まない。単純な動機の殺人事件を立派な?事件に仕立てようとする。
つか独特のブラックユーモアの世界。
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 つかさんの演出は観客の反応をみながらセリフを変えていく初日と楽日では演出が異なるのでつかファンは必ず初日と楽日のチケットを買った。

 70年代日本人の多くが「きっと明日はよくなるさ」と信じていた時代。彗星のように現れた演劇界のスーパースターだった。企画展では ビデオでつかさんの演劇も紹介されてなつかしく鑑賞した。

 「つかこうへい」とひらがなのペンネームにしたのは、漢字の苦手な「おかあさん」のためらしい。心やさしいひとだった。


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ヨハネス・フェルメールからのラブレター展

 渋谷ブンカムラで開催中。手紙をモチーフに取り上げたフェルメールの3点『手紙を読む青衣の女』『手紙を書く女』『手紙を書く女と召使い』が展示されている。
 『手紙を書く女』
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 この絵が描かれた時代はまさにオランダが東インド会社を立ち上げ、大航海時代に突入していた輝かしい時代だ。
オランダは当時のヨーロッパで最も識字率が高く、郵便制度が整備されてから手紙の利用が急速に増加した。日本でいうと安土桃山時代から江戸時代のころ。
 
 『手紙を読む青衣の女』
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 後ろの画中画には地図が描かれている。そこから航海に出た恋人からの手紙を読んでいるのだという。
 
『手紙を書く女と召使い』
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床には書き損じたのか白い便箋が散らばっている。画中画には旧約聖書の逸話が書かれているらしい。

 この二つのことから恋人との和解を願って手紙を書いているのだという。

 まるでパズルの謎解きのような世界だ。そんな難しい解釈より、青や黄色というインパクトのある色を効果的に使って一瞬の内に見る者を絵の中に引き込んでしまう力技がフェルメールという画家の特徴だと思う。

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弥生美術館・竹久夢二美術館

 入館料は900円でどちらの美術館も見学できる。都営バス(学07)「御茶の水駅―東大構内」で、終点「東大構内」下車徒歩2分
弥生美術館は「伝説の劇画師 植木金矢展」
 
 昭和28年12月号の『痛快ブック』に初登場以来大ヒット連載したチャンバラ時代活劇「風雲鞍馬秘帖」は、新鮮な驚きをもって少年読者を夢中にさせた。  その作者こそ、当時絶大な人気を誇った劇画師・植木金矢(1921年~/別名・寺内鉄雄、最上元)だ。

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竹久夢二

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 大正美人の風情を感じることができる。大正3年(1914)10月に夢二は、たまきのために日本橋区呉服町(中央区八重洲1丁目)に「港屋絵草紙店」を開店した。夢二のデザインによる版画・封筒カード・絵葉書・手拭・半襟などを売る店であった。この店には多くの若い女性たちが押し寄せ、連日、お客で賑わったという。その写真もあった。

 夢二の女性をめぐるエピソードも開示されて楽しい。


 「夢二と東郷青児。この2人のあいだに夢二の妻たまきをめぐって痴情のもつれがあったことは、あまり知られていませんね。一時期のことなので、それも無理からぬ話ではありますが、……でも確かに。

 大正3年(1914)。夢二はすでに売れっ子の絵描きで、妻たまきを「港屋」にすえ自作品やそれを印刷した絵葉書をブロマイドのように販売していました。そこへ出入りしていた青年がある日連れ立ってきたのが、友人の東郷青児でした。青児は当時、青山学院中等部を卒業したばかりの17歳。

 夢二は地方で作品展をひらくことが多く不在なことが度々あったので、いつしか青児が港屋の2階で夢二画を代筆するようになり、やがてたまきの「若いツバメ」のような関係になっていきました。それを嗅ぎつけた夢二が、地方展の予定を急遽変更して夜中に帰宅してみると、たまきと青児は情事の真っ最中。血がのぼった夢二は、そばに置いてあった木刀(あるいはバット)を握り、2人に襲いかかりました。仰天した青児は、脱いだ衣類をがばっと鷲づかみにするや、素っ裸のまま窓から飛び降り、夜道を遁走。息も白い真冬の出来事。それ以来青児は港屋に寄りつくことはなかったようです。

 見学が終わったら併設の「夢やカフェ・港や」でコーヒーとケーキのセットで一休みできる。


 

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印象派の時代

 多摩美術大学の中村隆夫教授から印象派について聴く機会があった。中村教授によれば印象派は当時の「現代」を描こうとしたグループだという。

 印象派の時代は近代都市国家が形成された時代だ、イギリスで起きた産業革命が各国に普及する。19世紀半ばは、ナポレオン3世が大規模な都市改造を計画する。パリを起点として鉄道網を整備し、非衛生的なパリに光と風を入れるため、幅員の広い大通りを設置する。パリ改造は近代都市計画・建築活動に大きな影響を与え、近代都市のモデルと見なされた。

 パリの近代化は様々な形で周辺の地域へ波及する。近郊の町に工場が進出し、風光明媚なセーヌ河畔が都会人にとっての行楽地になっていく。それを担う重要な動脈となったのが鉄道であった。

 モネは近代化の象徴である鉄道をフランス初の発終着駅であるサン・ラザール駅テーマに描き1877年の第3回印象展に出品する。

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 機関車のもうもうたる煙がこの時代の近代化への沸き立つような雰囲気を伝えている。

 サン・ラザール駅から20分ほど汽車に乗って行くとラ・グルヌイエールという行楽地があった。着飾ったパリのブルジョアや名士たちが集まる行楽地で娼婦もたむろする歓楽地でもあったが、踊りや食事の出来る施設があり、夏には釣り、水浴び、ボート遊びが行われていた、当時のトレンディスポットといっていい。

 1869年モネとルノワールはこの人気スポットを訪れている。

モネの描いた「ラ・グルヌイエール」

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 水面の反射する光が美しい、画面右手にはカフェ、画面下部には小舟が見える、人の表情は読み取りにくい。

 ルノワールが描いた「ラ・グルヌイエール」

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 ルノワールも水面の光を描くか゛、こちらは絵の中のひとたちの話声が聞こえてくる感じがする。

 モネは光と影を描くための素材として人を使い。ルノワールは人を描くために光と影を使ったと言うべきだろう。

 「舟遊び」を見るとその違いがもっとはっきりする。

 モネの「舟遊び」

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 ルノワールの「船遊びの昼食」

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 変化する時代の「今」を描こうとする 印象派と宗教画とギリシア神話を主題に描いていたそれまでのグループが対立するのは必然だったのかもしれない。

 

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「モネとジヴェルニーの画家たち」展

 「モネとジヴェルニーの画家たち」展を渋谷文化村で観た。

18834月、モネはパリの西約80kmの郊外にあるジヴェルニーに移住する。このとき「私は舞い上がっています。ジヴェルニーは輝きに満ちたところです」と語っている。

 以後、1926年に没するまでこの地で制作を続けた。モネはジヴェルニーに睡蓮の池を中心とした「水の庭」、さまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を造った。

『ジヴェルニーの草原』モネ1890年

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 ジヴェルニーはモネの他にも世界各国から訪れた300人以上の芸術家たちの制作の場となり「芸術家村」になっていった。今回はその画家たちの作品も紹介されている。

 『水のある庭』リチャード・ミラー 1910年

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 『早朝』ルイス・リットマン 1912年

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二枚とも印象派らしく光が溶け込むような作品。

 この村にすむ人たちの雰囲気が伝わってくるような

『婚礼の行列』セオドラ・ロビンソン 1891年

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 ジョン・レスリー・ブレックの「積みわらの習作」12点

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モネの「積みわら」の連作を再考する手助けになるシリーズのような気がした。

 このほかにもジヴェルニーを背景に撮られたモネの写真なども展示されて

面白い企画展だった。

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演劇公園「SADブラッド」

 「SADブラッド」日本語に直せば「現代不安定物語」とでもいうのだろうか?演出の笠木望はこの不安定な状況を語るのに「欲望しいう名の電車」を下敷きにする。「欲望という名の電車」は

 港湾都市ニューオーリンズのうらぶれた下町に、Desire(欲望通り行き)と表示された路面電車に乗って、孤独な未亡人ブランチ・デュボワが降り立った。南部の町オリオールの傾きかけた名家に育ったブランチは、家族の看護やその葬儀などで財産を使い果たし、妹夫婦を頼って来たのだ。だが、妹ステラの夫スタンリーは貧しい職工で、家もたった二間のアパートだった。

 病的なほど不安定な上にお嬢様気取りのブランチの行動が、いちいち気に障るスタンリー。ブランチも粗野で暴力を振るうスタンリーを嫌い、ステラに一緒に家を出ようと訴える。だがステラは、野蛮だが自分を強く愛しているスタンリーから離れられず、子供も身ごもっていた。

 心の平静を失いかけながらも、スタンリーの同僚であるミッチとの結婚に望みをかけるブランチ。だが、ミッチに荒んだ過去を知られ、更にスタンリーに襲われたことで、ブランチの精神は崩壊する。

 ほかには、水谷八重子 (2代目)(当時は良重)、岸田今日子東恵美子栗原小巻浅丘ルリ子樋口可南子大竹しのぶなどがブランチを演じている。

 笠木はこれを歌舞伎町に住む妹夫婦に置き換え、スタンリー役の豪にホストクラブに働く在日朝鮮人という設定を与えている。揺れ動く家族の絆、アルコール中毒のヒロインの恋の行方、ラストのヒロインの精神が崩壊するまで、一気にラストまで観客を引きつける。登場から青いスーツを身に付けたヒロインがラストに狂気に変わる時深紅のドレスを身につけて登場するシーンが印象に残った。

 演出の笠木望さんの母上が立教セカンドステージ大学の同期生ということもあって当日はセカンド大学の仲間が若い人に混じって10人ほど観劇していた。我が仲間は義理がたく、なおかつ暇人が多いのだと思う。

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キャラリー「アッカ」

 世田谷に誕生したばかりのちいさなギャラリー「アッカ」を訪ねた。オーナーは立教セカンドステージ大学千石ゼミで一緒だった佐藤晴恵さん、オープンの企画展は中西賢一の作品展。

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 中西の描く自然は技巧を感じさせないストレートな表現が特徴。作品に前に立つと自然に包まれるようなおだやかでゆったりとした気分になれる。中西の観る自然は古代人のような天地と人の共生ということだろうか?

 若い作家たちに作品発表の場を与えたいというギャラリー「アッカ」のオーナーの願いにふさわしいオープン企画だと思う。

 田園都市線の桜新町駅にちかい。Scan

 おだやかな気分になりたいと思った時に訪ねてみたいギャラリーとしてお薦めする。

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なぜ、これが傑作なの?

 「なぜ、これが傑作なの?」 ブリジストン美術館の企画展を見に行った。ブリジストン美術館所蔵の12点を中心に傑作を展示している。

 傑作の条件は

  制作した美術家が美術史上に確固とした足跡を残した人物であること、

  その美術家の特徴を典型的に示す作品であること、

  作品として完成度が高いこと、

  長い月日の評価に耐えてきた作品であること、

  多くの人々が愛し続けてきた作品であること、

                      5点が必要らしい

「自画像」セザンヌ

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「縞のジャケット」アンリ・マティス

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傑作かどうかは知らないが「いいなー」と思ったのは

「ポワレの服を着たモデルたち、1923年の競馬場

   ラウル・デュフィ

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きれいだなーと思った絵だ

もう1枚はこれ

「横たわる裸婦」1930年 小出楢重

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 日本の女性がモデルということ。この時代にヌードを描いた勇気に感心

そういえば最初に裸婦を描いたのは黒田清輝 この人のこの絵もお気に入りの一つだ。

 『智・感・情』

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『西洋絵画のひみつ』

 中世はキリスト教の倫理感では裸体は人の欲望をかきたてる悪しきものとされていた。そこでギリシャ神話の愛と神話の女神「ヴィーナス」がヌードを描く口実として利用された。ルネンサンス期のイタリアではヴィーナスの絵は新婚夫婦の寝室を飾るために描かれたと言われている。

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『ウルビーノのヴィーナス』 ティツィアーノ 1538年

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1863年 同じ構図でマネがヌードを描く。

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 そして轟々たる非難をあびることになる。マネは300年の伝統的描きかたを無視して「娼婦」のヌードを描いたのだ。

 さて話題を変えて聖母マリアの見分け方。

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宗教の挿絵として絵が描かれていた時代様々なルールがあった。

例えば 聖母マリアは常に青と赤の衣装を身につけて描かれた。

洗礼者聖ヨハネはラクダの毛皮の衣と葦で出来た十字架を持っている等々。

以上はすべて『西洋絵画のひみつ』藤原えみり著 朝日出版社1600円からの引用。本の帯にあるように「西洋美術を根っこから理解するための、いちばんわかりやすくて深い絵画入門」だと思う。例によって個人的にこの本の作者とはなんの関係も持っていない。

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現代アート事情、『芸術闘争論』、村上隆

 村上隆、昨年ベルサイユ宮殿の企画展では賛否両論が巻き起こった。

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 現代アートの世界ではベストテンに入るアーティストである。その村上隆が美術に関する二冊目の本を書いた。

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 「ヒロポン」と名付けられた村上の作品はオークションで5800万円で売れた。村上はこの作品でどれぐらいの収入を得たのか?

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 答えは180万円。からくりはこうだ。村上はこの作品の販売を画商に委託する。この時360万円で売れる。画商と村上は50%づつ受け取る。つまり村上には180万円がはいる。この作品を買った人がオークションにかけて5800万円で落札される。もちろん村上には1円もはいらない。

 アメリカでは作品は大きくなくては売れないという。大きな作品から売れてゆき、日本で作成されているようなちいさな作品は売れ残ることが多いという。

 それは何故か? アメリカの場合、現代美術を購入する人は次の二種類だという。

 ①美術館に寄付したいお金持ち

 ②自分の家が広すぎるので、その広すぎる家の壁を埋めるのにアートでも欲しいというお金持ち

 現代アートの実情がわかる本だ。

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