文化・芸術

第64回行動展、国立新美術館

行動美術協会主催、「行動展」が六本木国立新美術館で開催された。

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 この行動展に立教セカンドステージ大学千石ゼミの清田さんの作品が出ているというので見に行った。清田さんはこの行動展の常連のようで62回目にも出品している。今回は64回である。

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文章はその人の本質がでるという。絵にもおなじことがいえるのではないか。

今回の作品

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この人の絵の前に立つとなぜかほのぼのとした想いが湧いてくる。なにかと暗い話題が多い中でそのことを忘れさせてくれるパワーを持った絵だ。作家の人柄がそのまま伝わってくる絵のような気がした。

 帰りに新国立美術館から地下鉄六本木駅に向かう途中、会社の後輩にばったり出会った。ミッドタウンに店舗がある。「今日はなんですか?」「うん友達が国立美術館の美術展に作品を出していてね」「へえーたいしたもんですね」と感心された。なんだかこちらも文化人になったような気分になった。

行動展は9/28まで開催されている。

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帆船模型づくりの名手からの招待

 神戸の仲間から東京で「第一回全日本帆船模型展」があるので見に来ないかと誘われた。定年退職して模型づくりの教室に通ったら先生になってくれないかと要請され、現在は教える側に回っている人だ。船の科学館で開催されている。

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なかなかの盛況ぶりである

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神戸の友人の作品。1804年に建造されたイギリス船「コンバルジャン」1/64

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不器用な自分としては 細かい作業とその根気に感心するばかりだ。なぜそんなに集中力が持続するのだろうか?

 5年ほど前、神戸に遊びに行ったとき。彼の行きつけのスナックに案内してもらった。元タレントだったという若いママは美人の中の美人。その店内に彼の作った帆船が飾られていた。なるほどこういう目標があって困難な模型づくりにチャレンジしていたのかと納得した。さすが我が友常に動機不純である。

 お台場経由で帰ったらなぜかメキシコフェアをやっていた。

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フジテレビ前はいつもにぎやかだ。

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香港芸術館

香港藝術館は九龍の尖沙咀にある。「香港藝術館」の現在のコレクションは14,000超える所蔵品がありそこには、中国絵画、書画、古代中国の秘蔵品、香港の芸術家たちによる歴史絵画などが展示されている

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「ウォーターフロント」1991 YAODING作

中国美術の歴史をたどりたいならここが一番ではないかと思う。

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浅草サンバカーニバル

 8/29サンバカーニバルの見学に出かけた。集合場所は雷門大提灯の下、12:30。カーニバルは1:30からスタートする。

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開始前浅草寺の裏手に回ると出番待ちの風景を見ることができる。

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とにかく暑い。見学より休憩。喫茶店に入る。涼しい、見学よりいいという意見も出た。2時ごろパレードを見に行く。

人、人、人だ。よく見えない。

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 3時ごろ上野に移動する。昼間から飲める店を探す。メンバーは総勢5名。セカンドステージ大学の面々だ。7名の予定だったが2名が欠席した。シニア世代は何があるかわからない。欠席者が出ても驚かないのだ。ガード下の大統領に入る。

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モツ煮で有名な店だがやきとりもうまい。

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話題は自然に大学のことになる。「あの授業のどこが良かったのか?」「不足するものは何か」「ゼミのすすめかたはどう変えるべきなのか?」「卒業後は何をするのか」本科で卒業したメンバーもいるので喧々諤々の議論になる。

セカンドステージのメンバーは夏休み中も勉強のことを考えているのだ。そんなひまがあるなら修了論文を書き進めたらいいと思うのだが、こちらはほとんど進んでいないらしい。

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芥川賞『終の住処』磯崎憲一郎著

 取引先の係長と酒の席で腕相撲して負かす、その後無視され続ける。終電間際の電車の中であったサングラスの女の家にその日のうちに泊まってしまう。十一年間妻と話をしない。家で食事をしない。家の二階の屋根に手が届く背の高い建築家。実際にはあり得ない話が淡々と語られる。最後に不仲だった妻と一生くらしていく決意をする。人生はドラマチックではない。その程度のものという渇いた語り口だ。

 評価の分かれる小説だと思う。小説は人間を描くものという人たちには評価されないだろう。実際主人公の顔が全く見えない小説なのだから。逆に小説は人間を表現するものという固定観念を打ち破る小説が出てきたということで評価する人たちもいるだろう。

 二つの分かれる評価とすこし違う感想を述べたい。女性関係も仕事の話もさあここからという時に終わってしまう。リアルさから一歩離れてしまう。ドロドロとしたところを回避しているのだ。著者は三井物産人事総務部次長、現役のサラリーマンである。リアルに書けばいろいろと弊害があるのだろう。実体験をそのままかけば迷惑する実在の人たちがいるのだろう。そこで『あり得ない事実』の積み重ねとなったのではないか?

この著者が会社を辞めて自由にかけるようになった後の小説を読んでみたいと思った

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太宰の似顔絵

 青森県立美術館で太宰治生誕100年記念の企画展に会った。それをみていると太宰は美術にも造詣が深かったようだ。Image

左下は太宰の自画像。

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展示資料の中に旧制中学時代、授業中に先生を描いたと思われる似顔絵があった。

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うまいものである。急に太宰に親近感が湧いてきた。私もセカンドステージ大学の授業中に教授の似顔絵を描くことがあるからだ。

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教授の名前は公表しない。本人から「おれはもっといい男だ」と苦情がでる可能性が高いからだ。これでも目いっぱい実物以上にいい男に描いているのだ。

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青森県立美術館

 青森県立美術館は三内丸山の縄文遺跡に隣接して建てられている。縄文文化のロマンに、真っ白な美術館が良く似合う。2007年にオープンした新らしい美術館だ

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ここの常設展に奈良美智の作品がある。奈良 美智(なら よしとも、1959125 - )は、青森県弘前市出身の画家彫刻家。世界的に評価されているポップアート作家で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵されるなど日本の現代美術の第二世代を代表するひとり。にらみつけるような目の女の子をモチーフにしたドローイング等で知られる。

ドローイング、線画のこと。日本の線画のルーツは浮世絵ではないか?

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150年ほど前ゴッホやセザンヌを刺激した浮世絵=日本の線画が今世界に現代アートとして評価されている。奈良の作品

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 相手を睨みつけるような女の子の視線。若い女性に人気がある。大胆で挑発的、決して媚を売らないそのイメージはマドンナに通じるものがある。孤立を恐れないその強さに若い世代がひかれているのだろうか?

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この美術館のための奈良の作品、高さ8.5mの『あおもり犬』

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伏し目がちのさびしそうな顔、白い美術館に合わせて真白な毛並みの犬だ。

展示作品にシャガールの舞台背景画がある。一点の大きさがタテ9m<、ヨコ15mの巨大なもの。3点ほどある。この絵をみるだけでこの美術館を訪れる価値があると思わせる作品だ。

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宮城県美術館

  7/23 浦和に集合して5時間走って宮城県美術館に到着する。森に囲まれた美術館だ。

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企画展示は

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気になる作品に出会う。佐藤忠良の『夏・帽子』

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都会的センスあふれるスリムな美人像だ。アンジェリーナ・ジョリーが主演した『チェンジリングを』を思い出した。

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この人は今最も帽子の似合う女優だ。

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佐藤さんの『帽子・夏』のモデルさんの写真を見てみたいと思った。

 カンデンスキーの『商人たちの到着』この美術館の所蔵品である。カンデンスキーは抽象画の創始者の一人だがはじめは具象画も描いている。カンデンスキーの生の具象画にはじめて出会った。

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 カンデンスキーの父親はシベリアのお茶の商人だった。その時の思い出を描いたのだろうか?、本来遠方から商品を持ちこむ商人たちの到着は華やいだ感じの筈だが、物質主義を否定し、新しい精神世界を模索したカンデンスキーの作品らしく黒を基調としたこの絵は何故か寂しさが漂っている。

 

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ボンの企画、もてなしの気持ち

 船の仲間は滋賀県に一名、兵庫県に三名、東京に二名、富山県に一名=ボン。各人の住む場所を順に尋ねる。各地域に住むひとが旅の内容を企画するのがルール。今回はボンの企画担当の番だ。蕎麦を打ち、おわら盆を踊り、ブログを開設するボンは才気あふれる人のようでどこか不器用なところがある。

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「今回の旅も、富山は見る場所が少なくて何かアイデァがありませんか?」と何度かボンからメールが入った。こちらもさしたる企画を提案することができなかった。旅行当日の数か月前、ボンは今回のコースを事前にまわったようだ。当初宿泊予定の旅館は食事がいまいちということで高岡の「磯はなび」に変更している。

ホテル「磯はなび」の一室、眺めのよい部屋だった。

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 初日はボンとその友人の山中さんによるおわら盆のライブがあった。旅行の直前に滋賀県の仲間が突然不参加になった。この滋賀の人とボンの車で移動する計画だったのでボンは大変困ったらしい。友人の橋本さんに大型の車をレンタルして回るつもりと話したらしい。橋本さんは「ボンの運転の腕前を心配して「それなら自分が助っ人になる」といってくれた。我々とは一面識もない人だ、2日間付き合ってくれた。

橋本さんは考古学のスペシャリスト。車中で富山の名所・旧跡に関するその博識を披露してもらった。そこらのガイドブックにはない深い内容が聞けたのは大収穫だ。

 事前にコースを徹底的に検証して歩く。ボンの依頼に快く我々におわら盆を披露してくれた山中さん。ボンの友人というだけで2日間運転手役を務めてくれた橋本さん。富山の旅で最高の「もてなしのこころ」に出会った。ボンは不器用で誠実、そしてよき仲間にめぐまれた人だと思う。

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富山県水墨美術館

 日本庭園がきれいな美術館だ。

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橋本関雪展を開催中だった。橋本関雪は近代日本画の最盛期とも言われる昭和前期を中心に活躍した日本画家。

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中国美術、西洋美術から影響を受けた感じがする絵が多い。しかしとにかく絵のうまい人だ。美術館の一角に茶室があり、お茶を頂いた。その責任者の女性が我々と同じく生産性の船で研修したという話が飛び出しておおいに盛り上がった。

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「日本のシュルレアリスム」展

 立教セカンドステージ大学、千石教授からでシュルレアリスムの講義があった。ちょうどその日に板橋区立美術館の「日本のシュルレアリスム」展を見にいった。池袋から急行でひとつ目の成増で下りて、バスで10分程度で到着した。

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入場は無料。渡辺武『祈り』

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何やら雲がひとの顔のように見える。まあこれは絵がきれいだからまだいい。

中村宏『富士二合』1955年

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富士山が画面上に見える、植物の視点から富士をみあげたのであろうか?

 他にも70点ほど展示されていたがなんだかよくわからなかった。シュルレアリスムを読み解くキーワードは「夢」『無意識』であるという人がいる。絵に何が描いてあるかを理解しようとしてはいけないという人もいる。

 そうなのかもしれないがではどうすればいいのか? 麻雀であれよあれよという間に完敗した気分になった。

 後日、ゼミ仲間のWさんもこの展示会に来ていたことを知った。彼女も理解できなかったという。やや安心である。とてもいい友達なのだ。彼女からその時の講演の話を聴いた。

本のシュルレアリスムと瀧口修造』という講演。講師は田辺さん、今は大学教授、平凡社の社員で瀧口先生の私的なサポートもしてきたようである。

瀧口修造はとても貧乏な生活で、葬式のとき、立派なお棺を注文して、田辺さんはお弟子さんたち(?)から「こんな立派な棺にいれるのは瀧口さんをを侮辱するものだ。これからの生活の事も心配してお香典をもってきたのに無駄遣いする。」と怒られたそうだ。けれど奥さんは、「生きていたとき、小さな机にむかって狭い部屋で体を無理して原稿を書いていた。ひろびろとしたお棺で旅出させてやりたかったので、田辺さんに立派なお棺にしてほしいと頼んだのだ」といわれたという事で、いい話だと思った。

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故宮博物院へ

 五代十国時代(ごだいじっこくじだい、907年 - 960年)とは、中国の滅亡からの成立までの間に黄河流域を中心とした華北を統治した五つの王朝(五代)と、華中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代である。時代の転換期には、必ず芸術の分野にも革新がおきる。

 芸術家を支持するスポーンサーが変わることが主な要因だろう。唐の時代は『着色画』が主流だった。五代十国時代、溌墨という手法が始まる。酔っ払いが墨をぶちまけ、足や髪でなすりつけ絵を描く。前衛的な手法だ。宋の時代に『水墨画』が主流になる。

北宋時代『水墨画』の頂点に立つ作品がある。「早春図」 郭煕(かくき)1072である。この時期中国の絵画に革新が起きている。

           着色画から水墨画へ

           人物画から風景画へ

           壁画から個人が鑑賞する絵画

この名品が世界4大美術館のひとつ、台北の故宮博物院にある。この作品が見たくて本日台北へ旅立つことになった。

 大学の研究テーマに関する調査がその主な目的というのは、もちろんカミさんに対するいいわけである。本音は小龍包が食べたくなっただけのことなのだ

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熊谷守一美術館

 池袋要町駅を降りて7分熊谷守一美術館にゼミの仲間といった。

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熊谷守一

明治13年(1880)~昭和52年(1977)

岐阜県恵那郡に生れ、東京で歿。明治37年東京美術学校西洋画科選科を卒業。大正22年二紀会の創立に参加。大正26年からは無所属作家として世俗から離れ、自由に制作を楽しみながら、単純明快な形と色で独自の様式を確立した。随筆集に『へたも絵のうち』があり、代表作に『陽が死んだ日』などがある。

勲三晩年「これ以上人が来てくれては困る」と言い、文化勲章の内示を辞退したことでも知られた.

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「陽が死んだ日

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「裸婦」

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美術館の建物にこんなデザインがあった

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二枚の絵がある

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上の絵が『野天風呂』守一が描いた。下の絵は『ダンス』マチスの絵だ。

色調、裸の人が五人年代から言えばマチスを守一がパクったといえる。

アンリ・マティスHenri Matisse, 186912月31 - 195411月3)は、フランス野獣派(フォーヴィスム)のリーダ-的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。

マネをすることは恥ずかしいことではない。青は藍より出でて藍より青しの言葉もある。

しかし今、『手本なき時代』である、モノマネではないオリジナリティあふれる発想を各界のリーダーたちに期待したい。

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ほっとする絵

 セカンドステージ大学の修了レポートでピカソをテーマにした。その関連でピカソがどんな影響を現代に与えたのかを追っている。必然的に現代アートを見ることになった。難解だ。

岡本太郎は「今日の芸術」という著作の中で現代アートについて、「芸術はここちよくあってはならない」「芸術はきれいであってはならない」「芸術はうまくあってはいけない」という。

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とすると現代アートを見ている自分は「気持ち悪く」「汚い」「へたくそ」なものを見て歩いているということになるのだろうか?

クラシックアートが見たくなって青梅に用事があったので「青梅市立美術館」に立ち寄った。「白と黒水墨の世界」展示会が開催されていた。

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この美術館の展望ロビーからの眺めはお薦めである。

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出展作品のひとつ、栗原一郎の『休憩の時』

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娼婦だろうか、休憩の時間に煙草を吸ってリラックスしている様子。

常設展示場では多摩ゆかりの洋画家小島善太郎の『編み物』の作品もある

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 古き良き時代の「ここちよく」「きれいで」「上手な」絵画をゆったりと時間が流れるちいさな美術館で鑑賞する。ほっとした気分になった。

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ピカソと阿修羅像

 5/5ピカソが1936年娘のマヤを描いた「芸術家の2歳半の娘とボート」がニューヨークで競売に掛けられたが買い手がなかった。この作品はこれまで競売に出品されたことはなく1973年にピカソが亡くなるまで35年間にわたりピカソ自身の個人コレクションとなっていて、ピカソお気に入りの作品とみられている。当初の予想落札額は16億円~23億5000万円だった。

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 このニュースを聞いて,上野で開催中の興福寺の阿修羅展のことを考えた。この三面六ぴの阿修羅像は、清楚な少女のような表情を示し、天平彫刻の代表作の一つとして多くの人に親しまれている名品だ。司馬遼太郎、小松左京などの作家もこの阿修羅像のファンだった。

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ピカソは多視点から見たものや人を平面に描き、立体派(キュビスム)の元祖と言われた。

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その遥か昔、日本に多視点から人間をとらえることに成功した芸術的天才がいた。これをピカソに話したら彼はなんと言うだろう? 考えるだけで楽しくなった。

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斉藤義重・09 複合体講義

 斉藤義重の展示会。4/8~5/16東急大井町線 中延駅の朋優学院高等学校で開催されている。日祝は休館である。斉藤義重(1904-2001)造形作家、日本の現代美術のパイオニア、8090年代を通して死の直前まで取り組んだ「複合体シリーズ」で知られる。昨年立教セカンドステージ大学の「生涯現役という生き方」千石英世教授の講義で始めてこの作家を知った。千石教授はこの展示会の実行委員として参画されている。

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現代アートはどうも苦手でという人たち(実は私もその一人なのだが)にこの展示会のもうひとつの楽しみ方を教えたい。それはこの展示会にでかけてらリーフレットを手に入れることである。リーフレットの表面に千石英世教授の複合体講義なる一文が掲載されている。この文章を読むと現代アート、斉藤義重に少し近づける気分になる。この展示会をおすめするもう一つの理由である。

下の写真は展示会リーフレット裏面より掲載

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宮澤賢治の未発表詩

 未発表の草稿は 賢治の生家の蔵を解体したときに見つかった。地図の裏に賢治独特の文字で書かれていた。

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全文16行の詩である。

   停車場の向ふに河原があって

   水がちょろちょろと流れてゐると

   わたしもおもひ君も云ふ

   ところがどうだあの水なのだ

   上流でげい美の巨きな岩を

   碑のやうにめぐったり

   滝にかかって佐藤猊嵓先生を

  幾たびあったがせたりする水が

  停車の前にがたびしの自動車が三台も居て

  運転手たちは日に照らされて

  ものぐささうにしてゐるのだが

  ところがどうだあの自動車が

  ここから横沢へかけて

  勾配つきの九十度近いカーブも切り

  径一尺の赤い巨礫の道路も飛ぶ

  そのすさまじい自動車なのだ

 前半は水が主役。ちょろちょろ流れる水→巨きな岩をくつがえす水→滝にかかる水。上流から下流までの水の伸びやかな変化を描写してみせる。水の変化は成長をイメージしているのかもしれない。

 後半の主役は自動車である。この詩が書かれたのは1925年前後と思われるので乗合自動車だろう。坂道を九十度近いカーブを切り、巨礫を超えていくダイナミックな乗合自動車の姿を描く。

 川を流れる水は自然の世界、道路と自動車は人口のものであることから自然と機械文明を対比したと解釈できる。また水=やわらかきもの。自動車=硬くハードなものを対比させたともとれる。

 前半の『停車場の向ふに河原があって』後半の『停車の前にがたびしの自動車が三台も居て』の対比から『彼岸』あの世とこの世をイメージさせる。寓意に満ちた作品である。『わたしもおもひ君も云ふ』の『君』は賢治の恋人なのだろうか?興味がつきない作品といえる。

 1年前は詩を読むことに無縁の生活であった。昨年四月から立教セカンドステージ大学の講義で詩の授業を受けたことで興味を持つようになった。千石英世教授のゼミでの最初の課題が賢治の『やまなし』だった。この3月の渡辺信二教授の最終講義に提示された詩が賢治の作品だった。

 ビジネス書と翻訳ミステリーしか読まなかった自分がお二人の教授の授業で「詩を読むことの愉しみ」を学んだ。セカンドステージ大学で得た物は多い。「詩を読むこと」はその中でも上位にランクされる出来事だと思う

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ピカソ風の絵、作家の意図とは何か

2/26に載せた「ピカソ風の私の絵」について製作者のY
さんから
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その作成の狙いを聞くことができた。

「あの絵は愛と再生がテーマなんだ。まずピカソの絵を200枚ぐらい

研究した。それからテーマを考えた。作成日数は一週間かかった」

「絵というものはストーリーがなくては描くことがはできない。 」

「顔の右半分が暗いだろう。あれは山ちゃんの疲れを表現している。その疲れた顔を見て女性が二人心配しているんだ。

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 髪の毛の両側に女性が描いてある。こちらから見て左側が「MU」と字が書いてあるだろ。右が「IKE」。女性のイニシャルだな。実物より少し可愛く描いてある。まあお世辞だな。その二人が言う。「どうしたの山ちゃんそんなに疲れた顔しちゃって?」「いや40年ぶりに勉強になんかしたもんだから頭がパニックになっちゃって」と答える。そうだよな、もやしとキャベツだけを売って40年なにも考えないで生きてきただろ。突然「現代世界論」なんか勉強するから知恵熱がでるんだ。

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yシャツの下にブルーがあるだろ。あれはバイアグラを表現している。その左にピカソの文字があるだろ。ピカソは92才まで生きた。元気の象徴だな。右の09.k.yと描いてあるのは極楽鳥が描いてある。顔の右半分が明るいだろ。つまり慣れない勉強に疲れ果てた山ちゃんを大学仲間の女性が心配する。バイアグラとピカソの芸術から元気をもらった山ちゃんが極楽に遊び元気を取り戻すという「愛と再生の物語」を表現している。どうだ感動したか?

ちっとも感動しない。

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「鏡の前の女」ピカソ

 多視点から描くという革新的な絵画、キュビズム「アヴィニョンの娘たち」1907年から30年後ピカソは「鏡の前の女」を描く。

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この絵の主要部分を形だけでデッサンすると

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四角形と三角形を円が包み込むように描かれていることがわかる。ポール・セザンヌ (Paul Cézanne1839119 - 19061022)はフランスの画家。ポスト印象派の時期に活躍し、「近代絵画の父」として知られる。後進への手紙の中で「自然を円筒、球、円錐として捉えなさい」と書き、この言葉がのちのキュビスムに大きな影響を与えたと言われている。形を根源まで追求すればシンプルなものに行きつくの意味である。セザンヌは自然を、ピカソは日常風景を形にしようとした。色づかいを見よう。これも使われた色を面積比で表現すると

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背景に白とブルー鏡の縁のと花瓶の黄色 鏡に移された赤と黒の三角形、色が感情の表現と見れば 白、ブルーのやわらかな色づかいの中に赤と黒を全体の十分の一程配して緊張感を出している。恋人に話しかけながらこの絵を描くピカソが浮かびあがるような絵だ。1907年「アヴィニョンの娘たち」

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この実験的に描かれた当時の作品と比べれば30年後のキュビズムにたいして自信を持ったピカソがうかがえるのが「鏡の前の女」と言える。

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ピカソとクレー展

 渋谷東急文化村のピカソとクレー展を見る

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今回の展示作品を提供したドイツの州立美術館はピカソとクレーの主要な作品を所蔵することで有名な美術館である。パンフレットにあるピカソの『鏡の前の女』、クレーの『リズミカルな森のらくだ』の2点をみられるだけで価値がある。

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ところでウェルカムボードとは何かご存じだろうか?ウェルカムボードとは、披露宴会場などの入り口や受け付けなどに飾られる案内板のこと 。似顔絵などを描くなど、個性的なウエルカムボードも増えてきている。ピカソが好きな私のために大学の仲間の山中さんが私の葬式の時、葬儀場の入口のウェルカムボードに貼るためのピカソ風自画像を作ってくれた。キュビズムスタイルの力作である

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山中さんは美大出身の人なので素人のコラージュとはレベルの違う出来であることはこの写真を見れば一目瞭然である。作成にはかなり時間がかかったようだ。しかしながら好意で作ってもらったのにこう言うのも気が引けるが、ピカソのキュビズムには芸術の革新を目指すという崇高な動機を感じることができる。一方山中さんの作品は私の顔を切り刻んで快感を得ようとする不純な動機を感じるのである。今度あったら真の動機を確かめてみようと思う。

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ピカソ、生と死を描く

 ピカソが初めてパリに行ったのは1900年のパリ万博に出品した自分の作品「臨終」を見るためだった。親友のカザジュマスも一緒だった。1901年恋に破れたカザジェマスはピストル自殺する。ピカソはこのとき「招聘-カザジェマスの埋葬」を制作する。青を基調としたもの悲しく切ない作品群、「青の時代」はこの作品から始まっている。

青の時代、ピカソの自画像

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ピカソは1903年-1904年「ラ・ヴイ(生)」を描く。

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左側の男はカザジェマスのようだ。この絵はパリ万博に出品した「臨終」の絵の上に描かれている。「臨終」という「死」が描かれた絵に重ねて「生」を描いた。ピカソの遊び心か、ブラックユーモアなのか。

2/3 「ピカソの青春」多摩美術大学教授 中村隆夫氏の講演で聞いた話

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ピカソは何故もてるのか

 年賀状に「ピカソは何故あんなに女性にもてたのだろうか?」と書いたら  メールで教えてくれた人たちがいる。

富山の友人からは「ピカソはあなたが持っていないものを持っているからもてたのです。デブで貧乏なあなたと違ってピカソはハゲで金持ちだからもてたのです。」

会社の後輩からは「画家は相手に平気でヌードになることを要求できるからです。ちなみに先輩がおなじことを要求すると殴られる可能性が高いのでやめるべきです」

学部生で21歳の女性からは「ピカソは神秘的な眼が素敵です。山本さんの目は堕落しています。居酒屋、カラオケでアルバイトの女性にやたらと声をかけないでください」

するどい指摘が多い。しかしわが仲間に芸術を理解するひとたちが少ないこともこれでわかった。

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お会式

10月12日(日)は池上本門寺のお会式がある。日蓮さんに会いに来た全国の数十講中総勢三千人の万灯練行列が池上の町を練り歩く。

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万灯は日蓮さんが亡くなった時、庭先の桜が季節外れの花を咲かせたという故事にならい、

造花で宝塔を飾ったものです。

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その万塔を先導するのは、江戸の火消し衆が参拝するときにはじめた纏(まとい)

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10年ぶりに見にいったが色とりどりの万灯は見るだけで楽しい。008

万灯の練行列はpm7:30ごろから池上通りを中心に始り深夜まで続く。

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