一国の総理が「全員に給付を」と発言した。即座にその閣僚が「所得の高い人には制限を」という。総理の言葉のなんと軽くなったことか。「何で謝る必要があるの?」と言っていた兵庫県の知事が昨日「深く反省します」と一転した。中国の有害成分の混入に関連した輸入元の社長が「特別にどうってことない」と発言した。政治家も経営者も言葉を大事にしない時代である。
11/12(水) 八十年程前、自分の言葉に哲学を持ち言葉を深く追求した一人の詩人の話を聞く機会があった。立教セカンドステージ大学千石英世教授の合同ゼミ「芸術と心象風景」講演会である。
教授はアメリカ文学者、1983年「ファルスの複層-小島信夫論」で群像新人賞受賞、文藝評論でも活躍、村上春樹を批判的に論じた「アイロンをかける青年」も有名である(ウィキペディア)
当日のテーマは「宮澤賢治論」である。1926年賢治は自分の芸術についてのマニュフェストを「農民芸術概論綱要」として宣言する。
その中に
・・・われらのなかで芸術家とはどういうことを意味するか・・・
を読むと
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れた方面に於て各々止むなき表現をなせ のくだりがある。
それぞれの専門分野で「これしかない」という言葉で表現せよと言っているのだ。千石教授はまた五行の詩『夜の湿気と風がさびしくいりまじり』を紹介する。
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松や柳の林はくろく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
わたくしは神々の名を録したから
はげしく寒くふるえている
教授はわれわれにこの詩の習作第一稿を紹介する。最初賢治は二十行の詩としてこの作品を書いている。第二稿も二十行の詩であるが一語一語の表現が変わっている。第一稿、第二稿を経て最終五行の詩ができたのだ。
彫刻を刻むように なんどもなんども一つ一つの言葉の角度を変え、無駄な部分を削り取る 賢治の作業工程を明らかにしてみせてくれる。その推敲のプロセスに言葉の重みが伝わってくる。
講演終了後 受講生仲間と飲み会に行く。「いい話だったね。得をした気分になった」といったのは銀行出身の須藤さん。「大学の講義はこれだよね」といったのは立教大学文学部卒の元ダンス教師の武者さん。「へえーそうだったのかという話に会うとうれしいもんね」と私。セカンドステージ大学の二つの楽しみ。いい講義に出会うこと。そのあとそれを話題に仲間とディスカッション?(飲み会)ができること。
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