自分史

自分史、あとがきにかえて

 自分史 あとがきにかえて

自分史を書くことは文字どおり自分の進んできた道を明らかにすることだ。

そう思って書き始めると結局はさまざまな人たちとの出会いを書くことになった。

「自分史」は自分と関係した人たちの歴史でもある。『出会い史』ともいうべきなのかもしれない。書きすすむうちにかくも大勢の人達に影響を受け、助けられたのかとあらためてその多くの素敵な出会いに感謝した。

 「セカンドステージ大学」を受講しなければ、生来の無精者の私が自分史を書くことはなかったと思う。立花隆教授からはどんな文章がわかりにくいのか?どこを直せば読みやすくなるのか、実践的で具体的な講義をして頂いた。それにもまして受講生の文章を事例に話される時は、欠点を指摘しながら、相手を評価するやり方。言わば『叩きながら撫ぜる』という名人芸を見せていただいた。六十才を過ぎてまだまだ学ぶことがあるんだと気がつかされたことが最大の収穫だった。

受講生仲間の文章を読むとなるほどこういう切り口があったのかとハッとすることが多かった。その刺激をバネにして、15

〇〇〇字も自分史を書くことができた。「現代史の中の自分史」に関係した方全員に感謝したい。

「この人の文章は何が書いてあるのかさっぱりわからない、でもすごく面白いところがあるんです。」立花教授のこのコメントで多くの人、(私も含めて)が頑張れたImage16

「娘に自分がどんな仕事をしたのか伝えたくてね」と自分Image38

史を書く動機を語ってくれた山中さん

「すごく面白いよ」といつもほめてくれた、この人のおかImage36

げで続きを書こうと思った。究極のほめ上手 武者さん

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その8の2

② 女性ドライバーは左折が好き

「社長から年間売上高百億円の店にしろと言われたんだ。周りの競合店はヨーカドーが年間六十五億円、オオゼキが二十億円、この二店舗合計で八十五億円。全部の売り上げをとっても百億円に届かない。困ったね。この地域全体の売上高を拡大するしかない。今までこの地域にこなかったお客様を呼び込むしかない。同じ規模の店の三倍多くチラシをバラまいた。より遠くから来店してもらう作戦だよ」「それで売上は上がったんですか」と私「全く駄目だったね。ふつうチラシは自分の店を中心に半径五キロメートルにまくんだけど、さっぱり反応がないんだ。

それで三百六十度、いろんな角度からウチの店に向かって車で走ってみた。そうすると距離に関係なく店に来やすい地域、来るのが面倒なところがあることに気がついた。来やすい地域はウチの店に来るのに左折、左折で入ってくるルートなんだね。それまではチラシ配布エリアはウチの店を中心に円を描いて決めていたんだ。そこで円ではなく、お客さまがウチの店に来やすいエリアを中心にチラシをまいてみたウチのお客さまは主婦のかたが多い。女性ドライバーは運転の苦手な人が多い。     女性ドライバーは左折、左折のルートが好きなんだ。それからは毎日店の駐車場で車のナンバーを調べた。こちらが狙ったエリアからお客さまが来ているのか、いないのかの点検だ。三か月たつと少しずつお客様が増えて来た。嬉しかったね。

そうなればその地域に住んでいる人たちの暮らしぶりの調査だ。

持ち家が多いのか?マンション族なのか?若いファミリーなのか?もともとその地域に住んでいた人たちなのか?転入組なのか?それが解ればその人たち合った商品をチラシに載せる。売上はどんどん増えていった」 

①   地域一番店を倒す手の内

「地域一番店は総合的にお客さまから支持を得ている。対抗するにはゆっくりと始めることだ。まずは一部門で相手に勝つこと。野菜なら、鮮度、価格、品揃えで相手を上回ること。野菜部門の利益を下げてもいいから思い切り差をつける」

「何故野菜なんですか?」「野菜でなくてもいい。魚、肉でも良いんだ。毎日お客さまが食べる物の中ら選ぶ。毎日食べるから毎日買う可能性が高い。鮮度、価格、品揃えを変えればお客様に早く気がついてもらえる。打った手に対して結果が早く出るからだよ一か月もすれば売上が上がって来るよ」

「その次はどんな手になりますか?」「子供関連の強化だな、子供衣料かおもちゃ売り場。親は子供に弱い。子供を呼べれば親は一緒について来る。子供を人質にする手が有効だ」「でも、肉や野菜と違うからお客さまがなかなか気がついてくれないのではないですか」「そうそう、だからこの場合は品揃え、価格をかえるだけではダメなんだ。売り場面積を2倍にするとか、変えたことを一目でわからせる工夫が必要になるあとはチラシによる告知「おもちゃ売り場が新しくなりました」とかね。この2部門で相手に勝てれば競合対策は90%完了だ」

「でも2部門だけ勝っても全体の売り上げは大きく変わらないですよね」「そうでもない。時間はかかるが必ず他の部門にも影響が出て来るものだよ。地域一番店というのは予算達成することが多い。予算を毎月達成すればその店にいる社員の人事評価は高くなる。役職がついて昇格するケースも出てくる。売上不振の店はそうはいかない。地域一番店のことを『出世コース店舗』と呼ぶこともある。そういう店で一部門でも売り上げが下がってくれば担当者は(あれ、こんな筈ではなかった)と不安になってくる。一部門だけならその担当者だけの不安に終わる。さらにもう一部門の売り上げが不振になれば不安は増大してくる。(この店のパワーが落ちているのかな?この店にいても今までのように出世できないかも知れないと考える連中がでて来る。そうなればこっちのものだ。

小売業は最前線にいる人たちの踏ん張りで成り立っている。組織の中で後一歩の頑張りがなくなれば、雪崩を打つように崩れていくものさ。勝ち続けた連中こそ負けることに慣れていない。そこがつけ目だよ」

「そうか、競合店対策は心理戦でもあるわけですね」自前のノウハウを公開してくれた先輩店長たちはスーパーの店長のひとつの目標である年間売上高百億円の店舗を創りあげた人たちだ。中には一度も一緒の部署で働いたこともない先輩もわざわざ休みに来てくれて指導してくれた。

                        ― おわりー

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その8 の1

その8の① 年間売上高 百億円を創った店長たち

 初めて湘南とうきゅうの店長になった時、多くの先輩店長が店にきて現場のノウハウを語ってくれた。その一部を紹介したい。

  お客さまに○○させるな

「店の開店時には店長は入口でお客さまに挨拶をする。毎日毎日買い物かごをお渡ししながら『いらっしゃいませ』と声をかける。だんだんお客様の顔を覚えられるようになった。このお客様はどういう声の人なんだろう?どうしてもこの人の声を聞いてみたい。ある時、『いらっしゃいませ』をやめて『おはようございます』と言ってみた。するといつもは黙って買い物かごを受け取っていたお客様から『おはよう』と返事が返ってきた。ああこの人はこういう声の人だったのかと、嬉しかったね。

夏になると「暑いですね」「そうだね、店長夏バテじゃないの」『ちょっとへばってます。ところで私、狩野 と申しますこう名乗るとほとんどのお客様が『わたしは高橋です』とお名前を教えてくださる。

それからは『高橋さん、おはようございます『狩野さんおはよう』お互いに名前で挨拶出来るようになった。店の中でお客さまの名前を一番多く知っているのは自分だと思う。あいさつをかわすお客様からいろいろなことを教えて頂いた。商品、接客の苦情。競合店の良い点、悪い点。励まし、店のスタッフのようにアドバイスしてくださった。自分は宗教のようにお客さまを信じて一緒に店づくり、売り場づくりをやってきた」

 

「いらっしゃいませでは相手から返事が返ってこない。お早うございますというのは相手の返事が返ってくる魔法の言葉ですね。ところで店長としてこれが一番大事だという仕事をひとつだけ教えてください」店長一年生の私の質問。

「うーんひとつだけか、それなら『お客さまに○○させるな』ということだね」

「その○○っていうのはなんのことですか?」

「お客さまに考えさせるな、尋ねさせるな、迷わせるな、という意味だ。例えばこの商品は本当に安全なのか?流行遅れになっていないか?本当にお買い得なのか?トイレはどこにあるのか?お客様はいろんなことを考え、迷いながら買い物をされている。その迷いをスッキリと晴らしてあげるための店づくり、売り場づくり、商品づくりが店長の一番大事な仕事だ。そのためにはお客さまの意見を聞く、その始めの一歩がお客さまへのあいさつだ。

人事異動で他の店に移ることが決まった時、店頭に自分が異動になったことを書いてお客さまに告知した。最初にお客様

に伝えることが大事だと思ったからだ。たくさんのお客さまから「店長さんお別れね」と声をかけていただいた。

競合店対策の最重点課題は店長がその地域のお客さまとどれだけ深くつながれるかの1点にかかっていると思う」

(店長の仕事を一つだけって聞いたのに結局はぜんぶやれってそういうことですか。これは私の独り言)

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自分史その7

 

その7

①「店長は何をする人なのか?」

 一九九八年、神奈川県、藤沢市にある湘南とうきゅうに人事異動になった。本社勤務が長かったので二十七年振りの店舗勤務である。

まずは対外的な挨拶まわり、前任の店長と警察署、消防署、商工会議所をまわる。それが終わると業務の引き継ぎになる。前任の大沢店長は営業のエキスパートである。あだなは「味付けタコ」、大酒豪で、飲むほどに顔が真っ赤になっていく。頭の毛も殆どない。大沢さんは「詳しいことはスタッフに聞いてくれ」の一点張りでなかなか仕事の話をしてくれない。とうとう痺れを切らせて「大沢さん、私は現場に出るのは久しぶり、システムも変わっているし、店長は朝から閉店まで、どんなことをするのか?教えてください」と申し出る。

        店長の一日

「そうか、しょうがないな。じゃあ店長の一日な。まず出勤するとお茶を飲む。で、新聞を読む。それから店の外回りを点検するんだ。駐車場、駐輪場、建物、看板をみてまわる。そのあとは店内に入る。各売り場に声をかける。開店時間になったら入口でお客さまのお出迎えをやる。」

「開店前でもやることは多いんですね」

「当たり前だ。それからは売り場の点検、衣料、雑貨、食品、陳列はできているか?人員配置はうまくいっているのか?自分の眼で確かめるんだ。これは時間をかけてゆっくりやれ。それで午前中は終わりだな」

「午前中は動きまわっている感じですね。事務とかをその間に入れたりしないんですか?」

「できないことはない。でも午前中はできるだけ体を動かすことにしているんだ」

「なにか理由があるんですか?」

「馬鹿だな、体を動かしておけば昼飯がうまいだろ。昼飯はおいしく食べる、酒は愉快に飲む。店長の基本だ。わかったか?」

わかったような、わからない話。

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「昼飯が終わったら、事務をやる。いつも時間をきめておけばスタッフがその時間に合わせて仕事をしてくるよ。三時になったら一階の食品売り場のレジの後ろでカゴ片付けだ。これを一時間やる。それから午前と同じ各売り場の点検を繰り返す。七時になったら軽食をとる。あとは売り場を巡回する。一日が終わる。以上」 どうやら店長とは良く食べるひとのことを言うらしい。

 その夜、居酒屋でミーティング。大沢さんと私二人きりである。

「あのーさっき3時にはレジの後ろでカゴ片付けをするって、言ってましたね。その時間帯は人手が不足してるんですか?」と私

「そんなことはない。レジのカゴ片付けといったのは同じ時間帯にレジの後ろに立つと言う意味だ」

同じ時間帯ですね、だけどどうしてですか?」

「お客様のなかにはいつも同じ時間帯に買い物することに決めている人が多いんだよ。お前がいつも同じ時間にレジの後ろに立っていれば、そういうお客様と早く知り合いになれる」

「それでどうなります?」

「そのうち、お客様から{店長18番レジの娘、接客が悪いよ、いまなんかお釣りを放り投げてよこしたんだから}という苦情を聞かせて貰えるようになる。」

「ふーん、そういうことですか」 

「その日は役付き者全員と18番レジの娘を入れて閉店後にミーティングだ。

お客様のナマの声を伝える。その娘に責任はあるが、それを指導できなかった役付き者全員の責任でもあることを徹底する」

「そこまでやるんですか」

「この話はまだ終わっちゃいない。しばらくたって、その娘の接客が良くなるとお客さまが教えてくれる。{店長、あの娘接客が良くなったよ、ほめてやってよ}その時だ、店長が仕事をするのは

その場で役付き者を全員集合させる。その娘もレジを代わらせて会議室でミーティングする。そして役付き者全員の前で、お客様からその娘がほめられたことを報告する。お客さまが言った言葉どうりに言うんだ。そしてその娘がたった今湘南とうきゅうのファンづくりに成功したことに 店長としてお礼を言う。そうすればその娘の接客は二度と後退することはないよ。」

  さすが百戦錬磨の大沢店長である。なかなかいい話なのだ。さらに大沢店長のプロとしての店舗運営の実践ノウハウが次々と開陳される。こうでなくては面白くない。今日はいい日になったなあと思い出した時、突然大沢さんの態度が豹変する。

  「だいたい、お前は新入社員のころから生意気なんだよ、理屈ばっかり並べてさ。ぜんぜんなおってない。お前は店長に向いてない。本社でパソコンでもいじくり回してればいいんだ。そうだろ、 そもそもなんでお前が俺の後任なんだよ。ぜんぜん納得できないね。 それから・・・・・」

大沢さんは私が新入社員の時、その店の店長だった人で大変可愛がって貰った。この人の酒は最初の二時間は穏やかで愉快、それを過ぎるとからみ酒に変身する。そのことをついうっかり忘れていたのである。

もともと悪気のない人だとよくわかっているのだが。本日 危険領域に踏み込んだ自分のうかつさを悔やむばかりである。              

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自分史その6

その6 ① 「スーパーのチラシはどうつくられるのか」

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昭和五六年の夏である。我々は十一月のチラシを検討するために本社会議室にいた。スーパーにとってチラシは最大の広告手段である。B4サイズで130から140の商品がチラシに掲載される。店には十万以上の商品がある中で、140程の広告商品で約20%の売り上げが確保される。何をチラシに乗せるのかは営業上の重要な課題となる。会議の準備資料は「昨年の同じ時期にどんな商品がチラシに乗ったのか?」「その時の値段は?いくつ売れたのか?」などが単品別に集計分析されている。自社のチラシだけでなく、競争相手のスーパーのチラシも分析されている。

各社のチラシを見ているとそれぞれの会社の特徴が見えてくる。例えばスーパー各社の中で売上高2位にランクされるI社の場合、輸入もののマグロやエビ、サケがチラシに乗ることが多く、逆に近海魚は少ない。八百屋からスーパ

ーに転じたM社は野菜に自信があるらしく頻繁に野菜を載せる。商社系列のS社は輸入フルーツに力をいれている。などの傾向が見えてくる。

  ② 実際のチラシ検討会議の進め方 

 会議室の壁面には昨年同月発行の自社チラシ、競争相手のチラシがギッシリと貼り出されている。 各担当者から自分がチラシに載せたい商品の説明が行われる。「この商品は通常販売される価格の三割引きで売ります。競争相手のD社が先々週チラシに載せた価格より3円安く販売することになります。売上高は単品で六百万円を見込んでいます。」以下同様の説明が続いていく。会議が半ばを過ぎるころ、発言があった。営業改革の助っ人として当社を指導していた城功先生の一言が始まる。やさしく何気ない、語りかけ。しかし出席者全員にイヤーナ予感が広がる。こういうときの城先生は会議進行者にとって大変危険な存在なのである。         

 「松原さん、あなたの商品 中華素材の重点販売と書いているけど。これなんのこと」「冷凍食品の肉まんとあんまんです」「ふーん、だったら肉まんと書きなさいよ。たかが肉まんを中華素材なんて難しく言い換えても商品の価値が上がるわけじゃないでしょ」「ハイ 訂正します」

「ところで、ここに重点販売と書いてあるね、いつもと違う売り方になるという意味だね、普段より大幅な値引きになっているということ?」

「いえ、通常価格の3割引きです」

「今まで その値段で売ったことはないの?」

「えー先々週も3割引きで販売しました。」

「 そうか、そうか、じゃあ売り方がいままでと違うんだね。例えば売り場に蒸し器を持ち込んでホカホカのあったかい肉まんをお客様に提供するとか」

「いえ、特にそういうことでなく、冷凍ケースのなかで いつもどおり販売する予定です」松原くんだんだん声がちいさくなってくる。

「そうか、松原さん あなた店の近くに親戚が多く住んでいるんでしょうね」

「えー私は四国松山の出身でして、東京にはほとんど親戚はすんでおりません。

でもそれがどうチラシの商品と関係するのでしょうか?」

「だって松原さん、こんなつまらない企画じゃぁあなたの親戚ぐらいしか買いに来ないでしょ」ここで城さんの顔つきが変わって

「重点販売という以上、お客さまがびっくりするような売り方だと思ったら

値段は先々週と全く同じ、売り方もいつもと同じ、親戚、知人にでも売るのかと思えばそうでもない。この売り方で赤の他人のお客さまが、命の次に大事なお金を払って買う理由が何処にあるのか?私にわかるように説明してもらいましょう」このときの会議参加メンバーの中で、語り継がれる「中華まんじゅう事件」の真相である。 

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  もちろん、城先生は松原くんだけを責めているのではない。この事例をかりて当社のチラシの作り方の改革を提案しているのである。                    わかっているのである。わかっちゃいるけどその物言いの救いのなさ。まさしく「情け無用の壊し屋ジョー」の本領発揮である。松原くんは息も絶え絶え、リングに寝そべったままの感じ。会議室はシーンとなったまま。誰一人発言しようとしない。司会進行役の私が「ええ この辺でコーヒータイムということで十五分ほど休憩にします。今の件は別途再検討ということで再開後は次のかた準備してください。」その場しのぎの官僚的発言でとりあえず切り抜ける。

  ③ 城先生の名講義

会議再開後は城先生から

「重点商品とは その月を代表する商品でなければならない」

「チラシは価格を伝えるだけのものであってはならない、その商品の持っている良さを伝えなければならない」

「その良さとはお客さまの健康にどう役立つのかがわかりやすく説明されているべきである」

等々チラシの作成をきっかけに当時としては あまり言われていなかった

「CS,顧客満足」にまで話は及んで行く。まさに名講義だった。

 その日の夜、松原くんを誘って飲みに行く、松原君は私と同期入社で 

営業改革プロジェクトのメンバーでもある。

「山本 俺はこのプロジェクト降りる。やってられねえーよ」

「いや 城さんはあんたをだしにして他の連中を教育しているんだから」

「いや そうだとしても 俺はもういやだ」

松原くんの気持ちは簡単に収まりそうもない。どうやら徹夜の説得になりそうである。

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自分史その5

 その5 商売の神様の面接試験

      ① 就職活動の年

 一九六八年、世の中は混沌とした中でも、経済成長をより確かに実感した年といえる。アメリカでは四月 黒人運動指導者、キング牧師暗殺。

 六月 ロバート・ケネディ暗殺。パリでは五月 ベトナム和平交渉が始まる。

 国内ではこの年の重大ニュースのトップに「東大紛争などの一連の学園紛争の勃発」があげられ、十位には「全学連を中心とする新宿駅デモに騒乱罪適用」となっている。日本のGNP(国民総生産)は一九六八年にフランスを抜いて世界第4位、六七年はイギリスを抜いて第3位、この年、六八年には西ドイツを抜いて第2位になる。

    ② 取り調べ室のような面接試験Image_2

 四月、大学四年 就職活動の開始である。現在のようにインターネットもなく会社情報と言えば学生同志の情報交換、川崎教授の講義の中で知った数社の会社名だけがたよりの心細いものだった。

 五月 ㈱東光ストア(現在の東急ストア)の面接があった。会場の奥正面に会社側面接官5名が並び、受験生は反対側に5名がすわる。面接開始である。

「それでは一番の方から 当社への志望動機を述べてください」

「ハイ、スーパーマーケットは成長期でその中で 東急グーループの一員である御社は安定して成長する会社ということで受験いたしました。」

トップバッターの学生の模範解答。文句なしである。2番手、3番手の受験生も同様の模範解答が続く。(よしこの線で自分も回答してみようと考えていた)

その時、3番手の受験生に大声で質問が飛んできた。

「そうじゃない!安定した会社なんか世の中に 千社も二千社もあるじゃないか。そのなかで、何故当社を選んだのかそれを聞いているんだ。」

面接官の中の真ん中に座った、一番怖そうなオジサンのいらだったような声。

三番手の学生は絶句したまま答えられない。ふかーい、くらーい沈黙が続く。

三番手、

された模様。

撃沈

(

)

 「次の方 志望動機を述べてください」態勢を立て直す時間も与えられず、私の出番がきた。(模範解答はマズイんだよなー)

「えー 大学で川崎進一教授のスーパーマーケット論の講義を受けてスーパーに興味を持ちました」

オジサン又もや発言

「それは流通業に対する志望動機だネ。私が聞いているのは当社への志望動機だよ」この辺で完全に頭は真っ白、「えーと えーと 京王線の桜上水に住んでいまして、渋谷はとても近いので・・・・」

「君は家の近所で働きたいのか?他に動機はないのかネ」

ここで他の面接官から「落ち着いて自分の思っていることをゆっくり話しなさい」と助け舟のようなコメントが出た。しかしすでにこちらとしては大混乱しており、考えがまとまらない。

「えー 先輩が大手のダイエーや西友より東光ストアの方が入り易いんじゃないかと言っていたので」支離滅裂の回答。

「君は当社が二流だから入り易いと思って受けたのかネ」

しどろもどろの受験生とけんか腰の面接官。まるで警察の取り調べ室のような雰囲気のまま、私の面接は終わった。

後でわかるのだが会社側の質問の主は山本宗二社長だった。山本宗二氏は伊勢丹の基礎を創り、「商売の神様」と呼ばれた人で、東急グループの総帥五島昇が三顧の礼を持ってグループへ迎えいれた名経営者であった。当時は東急百貨店と東光ストアの社長を兼務していた。面接終了後、五人の受験生は控え室に                    戻って会話を交わす。    

「あれはイジメだよね」

 「そうそう」

「あんな質問にキチンと答えられる奴なんかいないんじゃない」

「たぶんいないネ」

「でも俺達落ちたかもね」                       

「そうね 次 探そうよ」落ちこぼれ五人組解散。

 一週間後 合格通知が届く。間違いかと思い 確認の電話を入れたが本当に受かったらしい。当時の東光ストアは拡大路線をとり会社として初めて大卒を大量に採用するタイミングだった。その他大勢組の一員として合格したらしい。 法政大学の就職指導課は一社に合格したら、他の会社は受験しないように指導していたので 私の就職活動はこの一社で終了した。最初で最後の就職活動体験である。

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自分史その4の3

③「もうひとつの革命論」

 この騒然とした学内の雰囲気のなかで、この騒動に一線を画して、淡々と講義を続ける教授陣がいた。東洋大学経営学部教授の川崎進一さんもそのひとりだった。

川崎教授は法政大学で「スーパーマーケット論」の講義を担当された。その講義のなかで、アメリカのチェーンストアの実態、日本のダイエー、西友ストアの台頭を教え、我々に「今、日本の経済界に流通革命が進行している。君たちもこの業界に飛び込んで流通を劇的に変化させてみてはどうか」と何度も繰り返しチェーンストアの可能性について述べられた。そして我々に一冊の本を紹介する。林 周二著「流通革命」中公新書がその一冊である。そこには日本の流通の非効率な実情。アメリカのチェーンストアの効率的な姿が紹介されていた。この一遍の本に魅せられてスーパーマーケットに就職することになる。 スーパーマーケット入社して二十数年後 川崎教授と話す機会に恵まれた。「私は新聞記者になるつもりでしたが、先生の授業を聞いてスーパーに就職しました。新聞記者になっていたらその後は政界に入って大臣を狙っていたかもしれません。先生のおかげで大臣になりそこなったようです」と申しあげたら川崎教授はうれしそうに声をあげて大笑いされた。

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自分史その4の1と2

その4 大学紛争に明け暮れる大学に入学する

①「教授も活動家?」 

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  昭和四十年四月、法政大学経営学部に入学する。同期には、後にプロ野球で活躍する田淵幸一、山本浩二がいた。

  受講する内容がきまり、いよいよ授業開始になる。最初の授業は会計学である。

講義の冒頭から教授から生徒への質問が始まる。「君たちはベトナム戦争に反対か?賛成か?」次の心理学の授業も「ベトナム戦争の是非について意見を述べよ。」英語の時間もベトナム戦争についての質問。授業科目の半分以上がこの質問である。

  また 授業の最中に突然数人の生徒が立ち上がって大声で叫ぶ。「我々はー 帝国主義的○○は絶対に認めない」○○はなにか政治用語なのか?よく聴き取れない。すると教授も授業を中断してこれに応える。「君たちのような○○の○○は・・・・・・・」これも我々新入生には理解不能な言語が飛び交う。どちらが活動家なのか我々にはわからないまま、授業の間中この論戦が続く。休み時間になっても終わりそうもない。

 同じ一年生で 講義で一緒になり高校時代の話をしたり、食事をしたりした仲間が突然学校に来なくなった。病気になったのかと心配していると三ヶ月後に突然教室の外で「ベトナム戦争反対」のビラをまいている。「吉本くん、何しているの?」と声をかけると、軽蔑したような顔つきでこちらをジロッとにらみつけている。

  この年の四月、作家の小田実が中心となって略称「べ平連」「ベトナムに平和を!市民連合会」が発足している。

 新聞はスポーツ欄、三面記事。テレビの番組のところを中心に読んでいる。

政治、国際情勢に関しては全くの無関心派である。大学に入っていきなり「プロレタリア革命」「ゲバルトの論理」などなどの論争をしかけられて、途方にくれる毎日なった。

 ②「機動隊が学内へ突入する」

 昭和四十二年、九月十四日、機動隊が法政大学構内に突入する。学生処分に反対する学生たちに対し、学校側が警察に機動隊の出動を要請した結果である。突入の一週間前から、法政大学の裏手にある靖国神社に機動隊が結集を始める。一日一日と機動隊員が増加して行く。学生側も全国の大学から活動支援の学生が集まってくる。立て看板の「九州大学支援部隊に感謝!」などの文字からそのことがうかがえる。九月十四日の未明、学生たちは正門前の広場で「人間の盾」のような横一線の隊列を組む。この列が何重にも重なって機動隊の学内突入を阻止する構えをとっている。警察側は正門の外で機動隊員、装甲車などがじわじわと前進する。

機動隊が学生に向けて一斉に放水開始。「イターイ」の叫び声と同時に女子学生が

しゃがみこむ。放水の圧力でブラウスのボタンがはじけ飛んだ。学生の列が次々と

崩れていく。機動隊正門から学内に突入、逃げ回る学生たち。この日275人の学生が逮捕されている。それから7年後 ベトナム戦争が終結する。

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自分史その3の2

  ② お説教はチョコレートパフェをたべながらImage

しばらくたって放課後仲間と三人でパチンコ屋にいた。そのころは自動式ではなく一発づつ手で玉をはじく手動式のころである。一か月間どの台がよく出る台なのか調査した上での出陣である。三十分もすると少しずつ玉が増え始める。すると我々のいる台につかつかと近づいてくる人がいる。数学担当の三井先生だ。今風に言えば「メタボ」ウエストは百センチ以上、身長は百六十センチ。年齢は五十代前半か? 頭はスダレハゲ状態、夏場になるとランニングシャツ一丁で、ズボンの裾をまくりあげ、腰からタオルをぶら下げて教壇に立つ。「君たちすぐここをでなさい」一瞬のうちに天国から地獄へ直行、一か月間の調査努力は泡と消える。

先生はどんどん歩いて駅前のケーキ屋兼喫茶店「シャンブル」に入っていく。我々三人もうなだれてついて行く。席につくと先生は全員分のチョコレートパフェとコーヒーを注文する。(不吉な予感、テレビドラマで刑事が犯人にかつ丼や親子丼をふるまって犯人を自白に追い込む、あの手口を連想させる。今日もお説教が長くなると覚悟を決める)

 三井先生はうまそうにチョコレートパフェを食べながらなにやらブツブツとつぶやいている。「家ではカミさんがうるさくて甘いものが食べられない。今日の弁当の魚は味が薄かった。帰って文句を言わなければ・・・・・」

全員がコーヒーを飲み終えたころ、先生はひとりひとりの顔をだまって覗き込んだ。いよいよ説教の開始である。「君たち今日ここでチョコレートパフェを食べたことをだれにも言うなよ」こう言うと先生はレシートを持ってレジで会計を済ませてさっさと喫茶店を出て行った。予想外の展開に我々はあっけにとられてしばらく声もでない。ようやく仲間のひとりが「先生はパフェを食べたかったんだね」と言う。どうもそのようだね」と結論がでたところで我々も解散する。

三井先生が期末試験の監督官として、我々の教室に来た時に、「ボクは試験が始まると新聞を読む。ボクが見ていないからといってカンニングをしないように」と宣言し、椅子に座って悠然と新聞を読んでいる。これは 我々にカンニングを奨励しているのだろうか?それとも新しいカンニング摘発の手口なんだろうか?我々は迷いに迷った。とうとう何もできないうちに試験は終了してしまった。三井先生は新聞を読んでいる間、生徒の方を見ることは一度もなかった。あとでわかったことだがこの先生はテストによって生徒を順位づけすることに反対する思想の持ち主だったらしい。そのことは彼の次の発言からもうかがえる。「ボクは女子生徒が〇点をとっても合格点をつけることにしている。女子は結婚のの時、成績を調査される場合がある。高校の成績で結婚がダメになるようなことはしたくない。だから女子がどんな点数をとっても合格点をつけることにしている」一大フェミニスト?宣言である。そして先生は宣言どおり実行する。

三井先生は我々が三年生になる直前に退職された。我々のひどい成績が関係したのか?三井先生が先生という職業に不向きだったのか?退職して「金貸し」になったという噂もながれたが、いまだに真偽のほどはわからずじまいである。

この高校には英語の発音に茨城なまりがまじる英語担当の高田先生。同じクラスに遠藤という生徒が二人居た時に「頭のいい方の遠藤君」「頭の悪い方の遠藤君」と呼び分けた中平先生と多士済々の教師がいた。我々は、この自分の欠点を平然とさらけ出す先生たちに出会って、世の中の本音の一部を知ることができた。優等生だけが人生の目標でないことをこの先生たちは教えてくれた気がする。

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その3の1

その3 教師からして変人である

     ① 山小屋で勉強せよ

 昭和三十七年四月、東京都立松原高等学校に入学する。世田谷区、京王線

下高井戸駅から徒歩で七分、住宅地に囲まれた学校である。進学のための一流校ではない。我々の遊び仲間二十三名のうち大學にストレートで進学できたのはわずか三名そのうちのひとりは体育による推薦入学だった。

 当然生徒たちは授業よりも放課後の活動に力を入れていた。これに対抗して当時学校の先生たちは交代で生徒指導のための夜回りを実施していた。パチンコや喫茶店、ボーリング場に入り浸りの生徒のチェックが主な目的である。一度日本史の坂本先生に喫茶店で捕まったことがある。松原高校教師陣の中でただ一人の東大卒、まじめを絵に描いたような人で授業中にジョークを飛ばしたことは一度もない「君たちはこんなところで何をしているのか?」「学生が勉強以外に何かすることでもあるのか]「自分は大学受験の時は山小屋にこもって一日8時間勉強した」等々、お説ごもっともな指導が2時間ほど続く。逮捕された我々はお説教を聞きながら、(毎日8時間も受験勉強したとはキットこの先生は奇人、変人にちがいない)(赤胴鈴の介じゃあるまいし、山にこもって修行とは江戸時代みたいだな)と思っいたのでこの説教は全く役にたたなかった。

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